貞享3(1686)年、幕府は福井藩6代藩主・松平綱昌の領国を没収した。いわゆる「貞享の大法」で、藩断絶は逃れたものの石高は47万石から25万石に約半減。家臣団の整理が行われ、侍や与力、足軽ら1000人以上が浪人になった。その結果、城ノ橋や毛屋一帯の侍屋敷は空き地や田畑となり、それに伴い町人も打撃を受け、城下町は衰退したといわれる。