生徒に数学を教える石田益資。笑顔を絶やさないよう心掛けている=3月、福井市松本3丁目のみんなの広場

 6畳間の和室が“教室”だ。ボードゲームを囲んでにぎやかな声が響く。輪の中心で子どもたち以上に楽しんでいるのが石田益資(36)=福井県越前町。2014年12月、不登校の小中学生を対象にしたフリースクール「みんなの広場」(福井市松本3丁目)を開校し、悩み、傷ついた子どもたちに寄り添ってきた。

 10代での挫折が「広場」開設の原点。県立大野高で生徒会長を務め「親が喜ぶから」と医者を志した。しかし、「テストで良い点を取ることで幸せになれるのか」—。思いは強くなり、受験勉強でうつ病寸前に。何とか大学には進んだが引きこもりになり、1年あまりで退学した。

 故郷に戻り、エネルギーをためた後、英国の大学で国際関係学の修士号を取得。東京で翻訳の仕事に携わり、台湾政府の奨学金を得て、現地の大学で4年間、日本語を教えた。充実した日々だったが、受験勉強に疲れ意欲を持って学ぶ学生は少なかった。高校時代の自分と重なった。

 「大人が教え込むのでなく、子どもが自主的に学び、将来に夢や希望が持てる場をつくれないか」。34歳で福井に戻り、古民家を借りて「広場」を開校した。

 ▽休むことは悪?

 フリースクールは、国が定める指導基準「学習指導要領」にこだわらず、子どもの自由、個性を尊重した学びの場だ。不登校の子どもは全国で12万人と高止まりする中、「学校以外の別の道」の必要性が社会に認知され始め、超党派の国会議員連盟が多様な学習の仕方を支援する立法準備を進めている。

 「『みんなで同じことを』という学校の管理的な雰囲気になじめない子は一定数いる。福井は学力は高いけれど、テストに追われ、学校を楽しめていない子も多いのではないか」と石田。「広場」に宿題や成績表、試験はない。小6で中1の数学を学ぶ児童もいれば、バドミントンやカレー作りに興じる中学生もいる。不登校に悩む親同士の語らいの場でもある。

 開校から1年余りで約20人が利用してきた。教師や同級生となじめず、中2から学校を休みがちだった弘人(15、仮名)もその一人だ。

 中学3年の1学期の国語の授業。久々に登校した弘人は思い切って手を挙げた。だが、先生は「お前、今ごろ、何言っているの」。教室に冷たい沈黙が流れた。弘人の気持ちが切れた。

 夏休み明けに力を振り絞って登校したが、みんなが帰った後、1時間半、教室のわきで先生に叱られた。帰宅した息子の真っ青な顔を見た母親(40)は「死んでしまうのでは」と直感した。「つらい思いをするぐらいなら、学校に行かなくていいよ」と一緒に「広場」を訪ねた。

 仲間と料理をしたりブドウ狩りに出かけたりする中で弘人は、学校で感じていたストレスがなくなったようだ。家でいらつくことが減り、笑顔が増えた。石田は「休むことは怠けることなのか。既存の学校が絶対なのか」と問う。充電期間を経て、弘人は今春、県内の通信制高校へ進む。

 ▽ボランティアの輪

 活動を通じ、石田を支える人たちが増えてきた。川端祐仁(60)=福井市=はたまたま石田と知り合い、昨年11月から運営を手伝っている。「この1次方程式、分かるか?」。小学6年の男児に語りかける。昨年8月に定年退職するまで自動車販売会社に勤めていた。全く畑違いの“教師”の仕事だが、生き生きと楽しそうだ。

 「学生時代に一度ぐらいドロップアウトしたっていいじゃないですか。人と違った経験を糧に将来、独り立ちし、飯が食えるようになってくれれば」。子どもたちがゆっくりと歩き出せるよう、背中を押す川端。「『他人のために何かしたい』という意識を持ったボランティアは“生きた教科書”。他者を思う気持ちが、子どもたちの心の中に育ってくれれば」と石田は言う。

 ▽あり方を模索

 不登校をテーマにした勉強会に講師として招かれるなど、石田は「広場」が不登校の子どもの居場所の一つとして徐々に認められてきたと感じている。

 今春は3人が通信制高校へ巣立った。「不登校の子のことを思うと、講師が家に出向くようなホームスクール形式も一つの手かもしれない」。ないがしろにできない経営面も含めて、フリースクールのあり方について模索を続けている。

 3月末、福井県内の学校で外国語指導助手(ALT)を務める女性と結婚した。「将来2人でインターナショナルスクールを開設できたらいいな。不登校の子だけでなく、社会人や英語に興味のある子の交流の場にもなれば」。年齢や立場に関係なく、学ぶことの面白さに気づける場所を—。そんな夢を描いている。(敬称略)

関連記事
あわせて読みたい