インタビューに答える野坂昭如さん=2000年7月、東京都杉並区の自宅

 小説「火垂るの墓」は、神戸市などを舞台に描かれているが、野坂昭如さんが疎開先の福井県春江町(現坂井市)で義妹を亡くした経験が基になっている。

 1945年、14歳の野坂さんは神戸の大空襲に遭い、知人を頼って1歳半にならない義妹とともに同町にたどり着く。8月1日から1カ月間、廃寺に身を寄せたものの、戦争が終わると間もなく義妹は栄養失調で死んでしまった。わずかな骨をドロップ缶に納め、神戸へ戻ったという。

 後のエッセーでは「『火垂るの墓』にでてくる兄(清太)ほどに、妹をかわいがってやればよかったと、今になって、その無残な骨と皮の死にざまを、くやむ気持が強く、小説中の清太に、その想いを託したのだ」と、亡き妹への償いと鎮魂の思いを込めて「火垂るの墓」を書いたことを明かしている。

 また野坂さんは、著書「赫奕(かくやく)たる逆光」の中で「野坂の姓は福井県に発するという。曽祖父は越前福井藩主松平慶永の家臣だった。身分は不明だが、御一新(ごいっしん)以後、東京で逼塞(ひっそく)」などと、福井との関係に触れている。

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 野坂昭如さんは9日午後10時37分ごろ、心不全のため東京都新宿区の東京医大病院で死去した。85歳。

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