国内最大の指定暴力団「山口組」の分裂から11月下旬で3カ月がたった。福井県内では敦賀市の2次団体「正木組」が新組織「神戸山口組」に加わったとみられる。全国で抗争が起きた昭和時代に比べ規制は厳しくなり、県内の関係者は「表だった衝突は想定しづらい」とみる。ただ、9月末には山口組と神戸山口組の組員がそれぞれ富山県内を集団で練り歩いたとされ、北陸でも対立の火種がくすぶる。今後の行方は「予断を許さない状況」という指摘もある中、福井県警は厳戒態勢を続けている。

 ◆30年前にも

 山口組の分裂情報が流れた8月下旬、福井県警に緊張が走った。同組の一大勢力「山健組」(神戸市)や正木組が離脱し、10団体以上で新組織を結成か—。県警は即座に機動隊員を敦賀市に送り、組事務所前で警戒した。

 県内では過去にも山口組分裂の余波を受けた。同組と、同組から分かれた「一和会」による「山一(やまいち)抗争」の最中の1985年1月、一和会系組員が山口組4代目組長を銃撃して対立が激化。銃撃直後、正木組の組員と、旧武生市に拠点を置いた一和会系の組員が衝突、互いの事務所を襲撃した。敦賀市では銃撃事件も起きた。

 「市民が巻き込まれないか気が気でなかった。死傷者はなかったが、あのような事態を二度と繰り返してはならない」。当時刑事部だった50代の警察官は厳しい表情で語った。

 ◆トップにも責任

 ただ、暴力団をめぐる情勢はこの30年で様変わりした。県暴力追放センター(福井市)によると、県内の暴力団は9月末現在で6団体の約320人(準構成員を含む)。91年の18団体約550人から激減した。背景には、同年制定の暴力団対策法と、全国で随時定められた暴力団排除条例がある。用心棒代を求めるなどの不当行為を禁じ、市民による暴力団への利益供与も規制。組員に、口座をつくれなくするなどした。

 弱体化に追い打ちをかけたとされるのが2004年の訴訟だ。3次団体組員に誤射された京都府警の警察官の遺族が、当時の山口組組長らに「使用者責任」があるとして損害賠償を求め、最高裁が計約8千万円の支払いを命じた。

 県センターの藤井寛之専務理事は「末端構成員であっても、組のために事件を起こせばトップに責任が及ぶ。組員に足かせをはめる画期的な判決だった」と強調する。

 こうした事情から、県内の暴力団関係者は「山口組は配下組員に『手を出すな』と呼び掛けていると聞く。福井で表だった抗争が起きるのは想定しづらい」と今回の分裂を冷静に受け止めている。

 ◆勢力を誇示か

 一方、元大阪府警刑事部長で企業危機管理士の松下義行氏は9月、福井市内での講演で「予断は許さない状況だ」と危機感を示した。

 松下氏によると、神戸山口組には山口組の元総本部長や、資金の流れに詳しく「金庫番」と呼ばれた組が含まれているという。「山口組にとって重要な情報を握られているのは脅威。放っておくとは思えない」と述べた。

 9月末、北陸で不穏な動きが確認された。山口組と神戸山口組の組員がそれぞれ、富山市内の繁華街を練り歩くなどして交通を妨げたとして、富山県警が10月に関係先を家宅捜索した。福井県警も「互いに勢力を誇示しているように見える」と神経をとがらせる。

 福井署は11月、詐欺容疑で福井市の山口組系組員を逮捕。市内の組事務所を家宅捜索した。分裂後に県警が捜索に入るのは初めてで、県内の暴力団の動向を探る狙いもあったとみられる。同月には常習賭博容疑で鯖江市の山口組系幹部らを逮捕するなど、法を駆使して暴力団摘発に全力を注ぐ。捜査関係者は「今後もさらに情報収集や実態把握を続ける。本県の治安は断固として死守する」と語気を強めた。

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 山口組分裂 6代目山口組の篠田建市(通称・司忍)組長が2005年に就任以降、出身母体の「弘道会」(名古屋市)系主導の人事や高額な上納金に対する不満があったことが背景として有力視されている。離脱した団体の構成員は当初約3千人とされ、双方の切り崩しで規模は流動的とみられる。

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