テナガエビの柴漬け漁で、木の枝の束を引き揚げる増井増一さん=福井県若狭町の三方湖

 湖面を吹く風が冷たい晩秋の三方湖(福井県若狭町)。テナガエビ漁が終盤を迎えていた。小舟に乗った増井増一さん(68)=同町鳥浜=が木の枝の束を水から引き揚げた。縄文時代から続くという柴漬け漁だ。枝の隙間から落ちるエビをたも網で受ける。「話にならんな」

 増井さんは鳥浜漁協の代表理事組合長を務めるベテラン漁師。この日は仕掛けた10束で約1キロの水揚げだった。「自分が子どものころ、おやじは1束で500グラム捕った。今は100グラムあるかないか」

 「また、これや」。ピチピチと跳ねる外来魚のブルーギルとブラックバスをエビの中からより分けた。エビはもちろん、フナやコイの稚魚や卵を食べてしまう。「悪さしよって…」。苦々しい顔で舟の床に放り投げた。

  ■  ■  ■

 高度成長期以降、湖の様相は変わった。農業排水や生活排水が富栄養化をもたらし、大雨で湖水があふれたことを教訓にしたコンクリート護岸化は、生き物のすみかとなる水草を減らした。釣り愛好家が放流したとみられる生命力の強い外来魚が幅を利かす。多様な魚がすむ湿地としてラムサール条約に登録された湖の基盤は揺らいでいる。

 湖の環境変化は漁獲量減少の歴史であり、漁師としての増井さんの半生とも重なる。

 小学生だった昭和20年代後半から父親の漁を手伝った。鳥浜貝塚で骨が出土している淡水魚ハスは「1回の投網で10キロ捕れた。繁殖期の雄は赤みがかってきれいやった」。縄文時代から湖畔の人が好んで食べた魚だが、ここ20年ほど姿が確認されず、もはや幻の魚だ。

 昭和40年代、地元の化学建材工場に就職したが、週末は決まって漁に出た。柴漬け漁でモロコが数百キロ捕れたこともあった。「今や夢物語」。定年を迎え、漁に専念できるようになった今、ベテラン漁師が満足に腕を振るえる環境は湖にない。

  ■  ■  ■

 三方湖に冬到来を告げるたたき網漁の解禁が6日に迫った。竹ざおで水面をたたき、フナやコイを刺し網に追い込む。かつて湖のフナは水路を遡上し、水田に入って産卵した。生まれた稚魚は湖に戻って成長した。湖と湖畔の水田のつながりが生んだ漁法だ。

 昭和40年代ごろから、水田の水はけをよくする土地改良事業で水路との間に落差が生まれ、フナの遡上を妨げた。たたき網漁の漁獲量は当時を境に減っているという。

 湖と水田の環境は「運命共同体や」と増井さん。官民でつくる三方五湖自然再生協議会の一員として、農家や環境団体、研究者と連携。水路に設置して卵を産み付けさせた人工産卵床を水田に移す取り組みなどを進めている。

  ■  ■  ■

 初夏は子どもたちが田んぼで捕まえた子持ちフナを大豆と一緒にしょうゆとみりんで炊いた鮒豆、夏から晩秋はテナガエビの空揚げや甘露煮、冬はコイやフナの刺し身と相場は決まっていた。「食べる人も、料理法を知る人も減った。魚を捕る人も減るわな」

 昭和初期、40隻近くがたたき網漁に出た。たいてい2人1組で乗り込んだという。今では1人乗りの舟がせいぜい5〜6隻。「自然相手の厳しい仕事やし、漁で食っていけるだけの魚が捕れん。好きでないと務まらん」

 増井さんは今年、肝臓を患い、5月から3カ月入院した。漁を再開したのは最近のこと。「10年先、誰が湖の守(も)りをするのか…」。心配もするが、今は漁に出られる喜びをかみしめる。「ぼちぼち体を慣らさんとな」。冬の湖を前にしてベテラン漁師の腕が鳴る。

  ×  ×  ×

 身近な自然と向き合い、つながりを取り戻そうとする人に寄り添う企画「人と自然つながるふくい」。今回は湖と生きる人に焦点を当てた。

関連記事
あわせて読みたい