「結婚ってなんぞや、夫婦ってなんぞや」の話題が持ち上がったゆるパブ会議

■同じもののように見ようとしてしまう呪縛

「うちの旦那はここがダメで?」なんていう会話でその場の標準に合わせようとするのは、福井だからとか東京だからとか地域性とは関係なく、日本人に備わったもので良さでもあり悪さでもあるのかもしれません。本当は違うのに同じだと思ったり、それに合わせたりしようとすること。それは他人同士のコミュニケーションではよくあることで、特に最近ではSNSを通じて同じことをよしとしたり、同調圧力という言葉が独り歩きをしたりしていることをなんとなく感じたりします。ゆるパブメンバー間の会話が進むにつれて「他人は絶対に違うものなのに、なんだか同じだということを求めているよね」みたいな疑問がモヤモヤっとしたものから、ハッキリとしたものに変わっていきました。

みんな違っていていい?♪なんていう歌が流行るように、みんなが違うということはわかっているし、そして夫婦だろうが元々は他人であって、親子であっても自分とは違うし、東京と福井、福井とどこか別の地域にもそれなりに違いがあるっていうのはわかっているんです。

ということは、その違いを認めて理解しあうことで、よきコミュニケーションが生まれるのではないか?ということがなんとなくの答えらしきものとして見えてきました。郷に入っては郷に従うというものも、もしかしたら「同じにしろよ」という呪縛かもしれませんね(笑)

■ここにも必要だった!?夫婦間のダイバーシティ

ダイバーシティという言葉を見る機会が最近は増えました。「多様性」という意味であり、それを受け入れていきましょう、という社会の流れのことですが、僕たちの会話は「夫婦間にもこれが必要だよね」という方向にいきました。もちろん、夫婦間だけではなく、とあるコミュニティーであったり、大きな枠組みで国と国や地方と都市、さまざまな文化の間でも「多様を受け入れて理解してみる」ということは必要なのかもしれません。

ただ、多様を受け入れることが簡単ならこんな苦労することはありません。イメージで言うならば「俺はご飯が好き」という人には「私はパスタが好き」という考えを理解しづらく「こんなに米が美味しいのになんでパスタばかり食べてるの?」とぶつかってしまいがちです。他を受け入れ認めることって本当に難しいんでしょう。

実際僕自身も妻を、そして妻は僕を理解し受け入れるまでに時間がかかりました。洗濯や食事はもちろん、考え方や人生の方向性までどうしても今まで育った環境の中で教えられたものがお互いの標準になっていて、僕は妻を、妻は僕をその標準に合わせようとしました。そしてぶつかりまくった。(笑)

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