「被爆ピアノ」の演奏会で、広島への原爆投下を題材に自作した曲を披露する荒木君=15日、福井県大野市城町の学びの里めいりん

 福井県大野市でこのほど開かれた、1945年の広島市への原爆で傷付いた「被爆ピアノ」の演奏会で、大野市開成中2年の荒木創吾君(13)が、広島への原爆投下を題材に自ら作った曲を披露した。「歴史としての戦争しか知らない僕が作った曲が、受け入れられるだろうか」。不安を拭えぬままに上がった舞台。それでも「二度と戦争を起こしてはいけない」との強い思いを指先に込めた。

 7月下旬、被爆ピアノの演奏会に出ないか、と荒木君に声が掛かった。演奏会の趣旨にふさわしい曲を探したが、これという曲が見つからず、自作することに決めた。

 5歳ごろからピアノを始めた荒木君。中学で吹奏楽部に入部し、1年の8月に独学で吹奏楽曲を作って以来、作曲に凝りだした。

 広島には行ったことがなかった。小学生の時に長崎原爆資料館(長崎市)を訪れた時の印象を基にした。原爆が落ちた直後の様子を生存者が記した資料、惨禍を生々しく記録する写真—。一つ一つ思い出しながら、曲を編んだ。

 「ダーン」。原爆が落とされた時を表す強い音で始まり、重々しいトーンで混乱、絶望を表した。静かな曲調に転じる部分は、命を落とす直前にあらゆる記憶が頭をよぎる「パノラマ視現象」を本で知り、イメージした。

 最後は明るく転じた。表したのは、戦後、復興した広島の姿だ。「生き残った人たちが精いっぱい生きたことで、街にも希望が見えてきたのだと思う」。曲名は「Reconstruct Revive 小品〜ヒロシマの為に〜」とした。

 演奏会は10月15日、大野市の学びの里めいりんで開かれ、約200人の聴衆が集まった。不安はあったものの約6分間、堂々と弾ききった。被爆したピアノは鍵盤が一部欠けていたが、軽やかだった。

 ピアノの持ち主の矢川光則さん(63)=広島市=は「被爆ピアノのために多くの人が曲を作ってくれたが、中学生は珍しい。次の時代を担う若者が戦争を真剣に考え、音楽で表現してくれたことに敬意を表したい」と喜んだ。

 荒木君は「聴いてくれた人に曲が届いて、泣きそうになるほどうれしかった。作曲を続け、将来は音楽関係の仕事に就きたい」とさらなる意欲を燃やしていた。

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