天皇陛下と81歳の誕生日を迎えられた皇后さま=9月29日、皇居・御所(宮内庁提供)

 皇后さまは20日、81歳の誕生日を迎えられた。これに際して宮内記者会の質問に文書で回答。戦後70年の節目となった今年の4月に「慰霊の旅」として、天皇陛下とともに太平洋戦争の激戦地パラオ・ペリリュー島を訪れたことについて「日米の戦死者の霊に祈りをささげることができたことは、忘れられない思い出です」とつづった。

 体調面では8月に心筋虚血と診断されたが「今のところ、これまでと変わりなく過ごしています」と記した。

 パラオ訪問では、ヘリコプターでペリリュー島に渡った。その際に目にした鳥の姿に「亡くなった方々の御霊(みたま)に接するようで胸がいっぱいになりました」と記載。戦没者の無念や遺族の深い悲しみに思いを巡らせ「悲しみを負って生きている人がどれほど多く、その人たちにとり、死者は別れた後も長く共に生きる人々であることを、深く考えさせられた」と表した。

 皇太子さまや秋篠宮さま、その次の世代を担う孫の愛子さま、悠仁さまらも今年、戦争の企画展などを訪問。皇后さまは「真剣に戦争や平和につき考えようと努めていることを心強く思っています」とした。

 宮内庁が8月、昭和天皇が終戦を告げた「玉音放送」の原盤と音声などを公開したことには「昭和天皇の御心(みこころ)を思い上げることの多い1年でした」と苦労をしのんだ。

 今年も火山噴火や豪雨など各地で発生した災害を「悲しいこと」とし、被災者の心労を察した。発生から4年7カ月がたつ東日本大震災では、避難生活を送る被災者に「さまざまな生活上の不安があろうかと案じられます」としたほか、不明者の捜索を続ける人や原発事故の現場で働く人らの健康を気遣った。

 このほか、北里大特別栄誉教授の大村智さんと東大宇宙線研究所長の梶田隆章さんのノーベル賞受賞の決定を祝福。ラグビーのワールドカップで活躍した日本代表にも触れ「4年後の日本で開かれる大会に、楽しく夢をはせています」と記した。

 ◎皇后さま回答全文

 81歳の誕生日に際し、宮内記者会の質問と皇后さまの回答の全文は次の通り。(回答の表記は原文のまま)

 質問 この1年、自然災害などさまざまな出来事がありました。戦後70年にあたり、皇后さまは天皇陛下とともにパラオをはじめ国内外で慰霊の旅を重ねられました。また、玉音放送の原盤なども公開されたほか、若い皇族方も戦争の歴史に触れられました。1年を振り返って感じられたことをお聞かせください。8月には心臓の精密検査を受けられましたが、その後のご体調はいかがですか。

 回答 この一年も、火山の噴火や大雨による洪水、土地の崩落、竜巻など、日本各地を襲う災害の報に接することが多く、悲しいことでした。ごく最近も、豪雨のため関東や東北の各所で川が溢(あふ)れ、とりわけ茨城県常総市では堤防が決壊して二人が亡くなり、家を流された大勢の人々が今も避難生活を続けています。先日、陛下の御訪問に同伴して同市を訪問いたしましたが、水流により大きく土地をえぐられた川沿いの地区の状況に驚くと共に、道々目にした土砂で埋まった田畑、とりわけ実りの後に水漬(みづ)いた稲の姿は傷(いた)ましく、農家の人々の落胆はいかばかりかと察しています。

 東日本でも、大震災以来すでに四年余の歳月が経(た)ちますが、未(いま)だに避難生活を続ける人が十九万人を超え、避難指示が解かれ、徐々に地区に戻った人々にも、さまざまな生活上の不安があろうかと案じられます。また、海沿いの被災地では、今も二千名を超える行方不明者の捜索が続けられており、長期にわたりこの仕事に従事される警察や海上保安庁の人たち、また原発の事故現場で、今も日々激しく働く人々の健康の守られることを祈らずにはいられません。

 先の戦争終結から七十年を経、この一年は改(あらた)めて当時を振り返る節目の年でもありました。終戦を迎えたのが国民学校の五年の時であり、私の戦争に関する知識はあくまで子どもの折の途切れ途切れの不十分なものでした。こうした節目の年は、改めて過去を学び、当時の日本や世界への理解を深める大切な機会と考えられ、そうした思いの中で、この一年を過ごしてまいりました。

 平和な今の時代を生きる人々が、戦時に思いを致すことは決して容易なことではないと思いますが、今年は私の周辺でも、次世代、またその次の世代の人々が、各種の催しや展示場を訪れ、真剣に戦争や平和につき考えようと努めていることを心強く思っています。先頃、孫の愛子と二人で話しておりました折、夏の宿題で戦争に関する新聞記事を集めた時、原爆の被害を受けた広島で、戦争末期に人手不足のため市電の運転をまかされていた女子学生たちが、爆弾投下四日目にして、自分たちの手で電車を動かしていたという記事のことが話題になり、ああ愛子もあの記事を記憶していたのだと、胸を打たれました。若い人たちが過去の戦争の悲惨さを知ることは大切ですが、私は愛子が、悲しみの現場に、小さくとも人々の心を希望に向ける何らかの動きがあったという記事に心を留めたことを、嬉(うれ)しく思いました。

 今年、陛下が長らく願っていらした南太平洋のパラオ御訪問が実現し、日本の委任統治下で一万余の将兵が散華(さんげ)したペリリュー島で、御一緒に日米の戦死者の霊に祈りを捧(ささ)げることが出来たことは、忘れられない思い出です。かつてサイパン島のスーサイド・クリフに立った時、三羽の白いアジサシがすぐ目の前の海上をゆっくりと渡る姿に息を呑(の)んだことでしたが、この度も海上保安庁の船、「あきつしま」からヘリコプターでペリリュー島に向かう途中、眼下に、その時と同じ美しい鳥の姿を認め、亡くなった方々の御霊(みたま)に接するようで胸が一杯(いっぱい)になりました。

 戦争で、災害で、志半ばで去られた人々を思い、残された多くの人々の深い悲しみに触れ、この世に悲しみを負って生きている人がどれ程(ほど)多く、その人たちにとり、死者は別れた後も長く共に生きる人々であることを、改めて深く考えさせられた一年でした。

 世界の出来事としては、アフリカや中東など、各地で起こる内戦やテロ、それによる難民の増大と他国への移動、米国とキューバの国交回復、長期にわたったTPP交渉などが記憶に残っています。また、日本や外地で会合を重ね、学ぶことの多かったドイツのヴァイツゼッカー元大統領やシンガポールのリー・クァンユー元首相、四十年以上にわたり、姉のようにして付き合って下(くだ)さったベルギーのファビオラ元王妃とのお別れがありました。

 この回答を記している最中(さなか)、日本のお二人の研究者、大村智さんと梶田隆章さんのノーベル賞受賞という明るい、嬉しいニュースに接しました。受賞を心から喜ぶと共に、お二人が、それぞれの研究分野の先達であり、同賞の受賞こそなかったとはいえ、かつてそれに匹敵する研究をしておられた北里柴三郎博士や、つい七年前に亡くなられた戸塚洋二さんの業績を深い敬意をもって語られることで、これらの方々の上にも私どもの思いを導いて下さったことを有難(ありがた)く思いました。また、大村さんや同時受賞のアイルランドのウィリアム・キャンベル博士と共に、同じこの分野で、国の各地に伝わる漢方薬の文献をくまなく調べ、遂(つい)にマラリヤに効果のある薬草の調合法を見出(みいだ)した中国の屠呦呦さんの受賞も素晴らしいことでした。

 スポーツの分野でも、テニスや車いすテニスの選手が立派な成果を上げ、また、ラグビーワールドカップにおける日本代表チームの輝かしい戦いぶりは、日本のみでなく世界の注目を集めました。四年後の日本で開かれる大会に、楽しく夢を馳(は)せています。

 身内での変化は、秋篠宮家の佳子が成年を迎え、公的な活動を始めたこと、眞子が約一年の留学を終え、元気に戻ってきたことです。佳子はこの一年、受験、成年皇族としての公務、新しい大学生活、と、さまざまな新しい経験を積み、また時に両親に代わって悠仁の面倒をみるなど、数々の役目を一生懸命に果たして来ました。眞子が帰って来てホッとしていることと思います。また、この十二月には三笠宮様が百歳におなりで、お祝い申し上げる日を楽しみにしております。

 戦後七十年となる今年は、昭和天皇の終戦の詔勅の録音盤や、終戦が決められた御前会議の場となった吹上防空壕(ごう)の映像が公開されるなど、改めて当時の昭和天皇の御心(みこころ)を思い上げることの多い一年でした。どんなにかご苦労の多くいらしたであろう昭和天皇をお偲(しの)び申し上げ、その御意志を体(たい)し、人々の安寧を願い続けておられる陛下のお側(そば)で、陛下の御健康をお見守りしつつ、これからの務めを果たしていければと願っています。

 体調につき尋ねて下さり有難うございました。今のところ、これまでと変わりなく過ごしています。

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