戦後の福井県政は、1946(昭和21)年に官選知事として赴任した小幡治和が翌47年に初の公選知事となって以降、羽根盛一、北栄造、中川平太夫、栗田幸雄、現職の西川一誠と6人の知事が担ってきた。歴代知事はインフラ整備、産業振興などをてこに「後進県」からの脱却、そして豊かな福井県づくりに取り組んできた。

 地方発展に不可欠な交通インフラの整備では、中川県政の77年に北陸自動車道の武生—敦賀間が開通、県内区間が完成した。舞鶴若狭自動車道の県内区間が事業化されたのは栗田県政の91年。それから20年余を経て2014年に全線開通し、嶺北と嶺南が高速道路で結ばれた。中部縦貫自動車道は、今年に入り県内全区間の事業化が決まった。

 中川県政の73年に整備計画が決定した北陸新幹線は、2度のオイルショックや国鉄財政の悪化で長く凍結状態が続いた。その後も先送りや2009年の政権交代による白紙化など紆余(うよ)曲折を経て、西川県政の12年に金沢—敦賀間がようやく着工した。

 嶺南振興を図るための原発誘致は、羽根県政の1957年に設立された県原子力懇談会が始まり。70年に営業運転を開始した日本原電敦賀1号機、関西電力美浜1号機をはじめ、72年までに計8基の商業炉が着工した。その後も商業炉の増設が続き、「核燃料サイクル」の確立を目指して新型転換炉「ふげん」、高速増殖炉「もんじゅ」も建設され、中川県政の85年に事実上の原発15基体制に。そして現在は3基が廃炉へと動きだしている。

 洪水調節、農業用水の補給、発電を目的とした小幡県政での真名川総合開発、中川県政の福井臨海工業地帯の造成など大規模開発も進んできた。

 戦後、県民1人当たりの所得が全国平均を下回る「後進県」だった福井県は、インフラ整備、産業振興とともに豊かになり、経済企画庁の「新国民生活指標(豊かさ指標)」では栗田県政の94年から5年連続総合1位に。西川県政の2011年に法政大大学院が発表した「幸福度に関する調査」では全国1位になり「幸福度日本一の福井」は定着しつつある。

 福井県を日本一の県にする—。初代公選知事の小幡が掲げた思いは、その後に続く知事たちに受け継がれ、この70年の発展につながっている。

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 戦災、福井大震災などを乗り越え、発展を目指してきた福井県。歴代6人の知事の取り組みを通じ、戦後70年の県政を振り返る。

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