地元では海の物は地元の人以外は採ってはいけない決まりがあるということですが、その地元でも今ではあまり採りに入る人も少なくなり、海にはとり尽くせないくらいに生えているのだと言われるのです。私たちの時代の親たちは、今の時代と違って海や野や山の自然の中で子どもが遊ぶことに対してなんの心配や不安も持たず、全くそうした自然にゆだね切っていました。ですから、夏にでもなれば日が差し暑くなり始めた頃から日の沈む涼しくなる前迄の近所の子らとの海での遊びのなかで、年上の子らのできることが目標や刺激となって自ら、泳げるように、潜れるように、年上の子らについて怖くても深いところまで泳いでいこうとしたりなど、そこで必要なことや知恵を身につけていったものでした。

 そうした子どもの頃からなじんできて海の中を熟知している海に育った人です。定年退職されて毎日が自由な身の人ですから、仕事や商売としてではなく、趣味や健康のためにその採ったわかめは、親類や親しい人に配って歩かれるのだそうです。

 おかげで、私も、親たちが健在だった頃には毎年欠かさず届けられていた、本当に久しぶりに、懐かしい、そしてやっぱり、スーパーなどで買ったものとは違っておいしいわかめをいただくことができるのです。その日も朝6時に海に入って採ってこられたというお願いしてあった生のわかめを大きな袋にいっぱい用意してくださっていました。 

 側には干しわかめには使わないというたくさんの‘めかぶ’がありました。そして‘めかぶは’いらないので捨ててしまうと言われるのです。‘こんなおいしいものをもったいない’と言うと、‘欲しいんならあげるざ。持っていきねえの’といって、このめかぶも全部大きな袋に入れていただけました。わかめの塩気はそう簡単には落ちないので二度ほど真水で洗って干すのだそうです。

 地元で育った者というだけで、今でもまるで身内か、親しい旧知の者のようにその言葉にも何の飾りもなく、ストレートではありながら、損得勘定の全く感じられない温かい心配りが随所に感じられる地元の人の温かさ優しさが、今の私には身に沁みるほどありがたく感じられるのです。ふとかつて同級生が言ってくれた‘そんな水の合わないところにいないで帰って来ねえの’という言葉が思いだされてもくるのでした。

 その日は、砂浜は素足ではやけどしそうなくらい熱い、まさに真夏日の海日和の日でした。誰もいない貸し切りの海で、岩場から海の中でゆらゆら揺れる季節的にはもうすぐ限界だろうとおもわれるわかめを探し、採ったり、もう遅いかと思われた、そうめんのように垂れて岩に生えている褐色の‘うみぞうめん’を以外に喜んで食べてくれる孫たちに採って食べさせたりして、何年振りかのこうした一時を過ごしたのです。

 小さい時から海の楽しみを存分に味わっている娘は、昨年同様沖縄の石垣島で数日を過ごして帰るのだと言って、急きょ沖縄行きを決行しました。今年は沖縄では、はしかがはやっているそうで、帰る前までにはなかなか計画が立てられないままに帰ってきたというのです。しかし、その思いを断ち切ることができなかったようです。

 沖縄には一緒に行くものと思っていたのか‘おばあちゃんも一緒に行かないの?’と寂しそうに言う孫に、この家族と一緒に行ってやれる元気があったらどんなにいいだろうとつくづく思われるのでした。娘は正しい日本語を伝えるためか、この子には「おばあちゃん」と、小さい時から呼ばせていたのです。‘たっくんとお別れ、おばあちゃんさみしいよ’というと、‘たっくんもさみしい’と大好きだったドイツのおばあちゃんを亡くしていることもあってか、子どもながらにしみじみというのです。

 娘からのメールには、昨年見つけたビーチでの砂遊びや秘密基地づくりやツリーハウスでの遊びや、ダイビングショップのツアー参加での、魚もたくさんいてマンタには会えなかったけどウミガメと一緒にしばし泳げ、ポナペで見たのと同じくらいきれいでまるで龍宮城のような景色で最高!でした。とありました。

◆謎の遺跡ナン・マドールへ

 私たちの家族に残されたたった一枚の写真の裏に母が書いたものでしょう、ポナペでの唯一の手掛かりである‘ムタラ〇ニュム村’という地名を知ったのは、ポナペに旅立つ前日、兄にその写真を借りに行った時でした。

 それは‘マタラニュウム村’のことであって、その村がここだというのです。かつてここに日本人たちが沢山住んでいてとても賑わっていたというのです。こんなにジャングル化してしまっているなかからはとても想像することができないくらい、その茫々としたジャングルの中に南洋興発の酒精工場だったという四角い火の見やぐらのような建物の骨組みだけが、抜きんでて高く立っていました。

 かつて家族はこの近辺に住んでいたのだというのです。そう言われてもただ茫然と立ち尽くすだけで何がどうだったのか私にはわかるはずもありません。せめて、かつて興発の会社で賑わっていたというその跡を自分で確かめるためにその辺一帯をこころゆくまで歩いてみたいとも思いましたが、歩いてわかるはずもなく、次の目的地に向かって出発しようとしている車をまたしてまでも、もう少し歩きたいという勇気もなく、いつかまた訪れる機会があったならその時にもう一度ゆっくり歩いてみようと思いながら、永友さん(ポナペ時代私の家族の近所に住んでいて私の家族をよくご存じで、今回私がポナペに行くことをポナペ会を通して知られ、長いお手紙を下さった方です)に送ってあげるための写真を撮って次の予定地ナン・マドールへ向かいました。

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