◆つながる縁(えにし)(命)、絶たれる縁(えにし)(命)

 ‘来てうれし、帰ってうれし孫の訪れ’。この言葉は、おじいちゃんおばあちゃんの立場からのある意味本音の思いとしてよく使われる言葉だそうです。

 これまで何度も学生の頃から娘たちを送り出し、迎えてきている私には、今更娘たちの帰国は心躍る喜びから、穴の開いたような寂しさへといった極端な思いで迎えたり、送ったりすることはありませんでしたが、年のせいかもしれませんが、やはり、ホッとする一面、帰った後はそこはかとない寂しさを感じる日々なのです。

 特にまだ5歳といいながらも、半ばドイツの血を引き、ドイツという環境の中に育ちながら、その中にどこか東洋的血が感じられる孫との日々は、何かにつけ寂しさを伴って思いだされてくるのです。

 血がつながらなくっても、あるいはその関係が遠くなりつつあっても、つながり合っていく縁(えにし)と、親子のように血がつながっていて深い関係にありながら、絶たれていく縁(えにし)があります。
その違いは一体どこから生じるものなのでしょう。

 今年は表年だという筍も、母の実家の後継者の方々の快い承諾で、5月20日に帰ってまだ疲れも取れ切れていないであろう早々に、従妹がすぐに手配を整え、例の山に詳しい男の人を伴い、娘たち家族にとっては初めての筍掘りの体験をさせていただいたのです。

 折れた竹や木々が到るところに横たわり道を阻んでいる、急斜面の竹やぶでの筍探しや筍掘りは、孫にとっては少しスリルを伴っての格好の遊びともなったようです。さすが表年です。わずかの時間にでも十分すぎるほどに掘ることができました。きっとドイツに帰って幼稚園の先生やお友達に珍しくも楽しいその報告ができることでしょう。そしてまだ若いその家の後継者からは運転の苦手な私に代わって休日の一日を娘たちをどこへでも案内しましょうとまで言ってきていただけたのでした。

 もう一つの体験です。

 ‘福井に出るついでがあるから、また、わかめを採ったから届けてあげるでの’と私の実家の集落の方から、連絡が入りました。少し前に、市の大きなごみ袋の大きさの袋にいっぱいのきれいに板わかめに干したわかめを持ってきて下さっているのです。中には地元の人しか知らないであろう‘すがも’とよんでいる海藻の板状に干したものも入れていただいていました。これがまた絶品なのです。

 ドイツでも海苔と粉わかめが大好きで絶やさないという孫に、娘は海に行ってわかめ採りの実際を見せたいというのです。あいにくその日は、その人は用事があって福井に出て来られるので、一緒にわかめ採りをしていただくことは出来ません。でも、私たちが海に行くまで家で待っていて下さるというのです。
 家の場所を確かめて、わかめをいただくために途中でのその方の家に寄らせていただきました。年下の人ですし、子どもの頃に遊んだり、関わったりした記憶もほとんどなく、家も初めて寄せていただいたのです。

 “こんにちは ! ”と、声をかけると、家の裏の方から‘おー’と返事が返ってきました。裏の空き地でたくさんのわかめを広げて干されていたのです。今は一人で暮らしておられるそうです。男やもめになんとかとも言われていますが、こうした裏の空き地までもが実にきれいに掃除が行き届いていてそのきれいさに驚くと共に、わが身を顧みる思いでした。そしてしばらくの間みんなでそのわかめ干しを見せていただきました。

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