【越山若水】句会の後のうたげがたけなわになったころ「お慰みに」と謡(うた)い始めたのが、愛子の母だった。名妓(めいぎ)で鳴らした人らしい、優れた芸のもてなしに目頭が熱くなった―▼俳人の高浜虚子の小説「虹」の一節である。といっても実話で、主人公は虚子の孫弟子に当たる森田愛子。いまの坂井市三国町に生まれ、29歳で早世した人だ▼小説ではこの後、母に続いて愛子も踊る。「あのかぼそい弱々しい愛子が…」。70歳の老翁である虚子が声を上げて泣く。こまやかな師弟愛のにじむ名場面である▼薄命といえば小浜市出身の歌人、山川登美子もそうだった。享年が愛子と同じ29歳。生きた時代は違っても、俳句と短歌にいまも美しい光を放ち続けている点でも共通している▼文化庁が認定する「日本遺産」の「荒波を越えた男たちの夢が紡いだ異空間〜北前船寄港地・船主集落〜」に坂井、小浜市が追加された。これでやっと仏に魂が入ったと感じた▼と同時に思い浮かんだのが、愛子と登美子だった。この福井県のほぼ両端に位置する三国と小浜で、文学に秀でた2人の女性が出現したのは、偶然ではないだろう、と▼2人をはぐくんだのは北前船がもたらした富であり、海を越えて流入した文化だったに違いない。二つのまちは風情が似ている。古びてなお、町並みに明るさがある。この遺産をどう生かすか。宿題をもらった。

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