【論説】越前市生まれの絵本作家で児童文化研究家の加古里子(かこさとし)さんが亡くなった。同市内はじめ県内で追悼展が相次いでいる。遊んで学ぶ楽しさを伝えるメッセージを改めてかみしめたい。

 92歳を迎えてなお創作意欲は衰えなかった。原点は19歳で迎えた敗戦にある。「未来を生きる子どもたちの役に立ちたい」―。この思いが原動力となったことは、88歳で語った自伝「未来のだるまちゃんへ」(文藝春秋)に詳しい。

 航空士官にあこがれたが、視力の低下でかなわなかった。軍人を志した同級生はみな死に、敗戦で目にしたのは「民主主義時代の到来」と手のひら返しで喜び、反省もない大人たち。

 「自分は生き残り…というより“死に残り”」

 失望と後悔から、人生をリセットし、この後どう生きるかを必死に考えた結果が「子どものため」であり、「僕にとっての生きる希望」となった。

 加古さんは1926年3月、今立郡国高村(旧武生市)に生まれた。転勤で京都から移り住んだ両親と兄姉の5人家族。小学2年までの8年間、日野川近くの里山でトンボやオタマジャクシを追いかけた。

 古里で育んだ情感を根っこに目線は常に子ども側にあった。絵本「だるまちゃん」シリーズの主人公はわんぱく盛りの男の子がモデル。子を思う行動が、なぜかズレてるお父さんの「だるまどん」は自身の父を重ねた。読み手は主人公と一緒に考え、笑い、悲しみ、物語に引き込まれる。

 中でも多く手がけた科学絵本は、子どもたちの好奇心を引き出す工夫にあふれている。山から海まで川の一生を丁寧に描いた「かわ」、ノミの跳躍が銀河系へと広がる「宇宙」など、想像力がどんどん膨らむ。

 加古さんが監修した越前市のだるまちゃん広場にも同じ仕掛けが点在する。キリンや象の目線の高さが体感できる遊具。動物が1秒間に走る距離が分かる滑り台。太陽系を縮尺した平面噴水は、宇宙や星の大きさ、距離感が実感できる。

 広場から東方を見上げると、絵本の仲間たちが左右に行進する壁画が目に入る。目指すのは背後の村国山と日野山だ。いずれ富士山、エベレストへと、夢を描き、挑戦し続けてほしいとの願いを込めた。

 亡くなる3日前、同市の「ふるさと絵本館」を訪れた長女の鈴木万里さんは、集まった子どもたちにこんな伝言を披露した。

 「空高く舞い踊り、みどりの野山で楽しく遊べ」

 スズメやカラス、コウノトリの絵と一緒に最近色紙に書いた言葉だという。「絵本館やだるまちゃん広場で遊ぶ子どもたちの姿が重なる」ともあった。

 子どもを取り巻く環境が大きく変わっても、心と体の発達や成長に欠かせないものは普遍的でしょう。加古さんと名作たちは、そう語りかけているようだ。

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