この世の私たちの場合、日常生活を送っている私たちは、「エーテル体」は「肉体」のために働き、「アストラル体」は「エーテル体」のために働き、「自我」は「アストラル体」のために働き、「霊我」は「自我」のために働いているようだというのです。そして、日常生活を送っている私たちは、それを当然のこととして生きているのだというのです。

 こうした流れは、全体としてみると、中心に「体」があり、それに「魂」が奉仕し、「霊」がさらに奉仕しているという在り方になるというのです。こういう生き方をしている限り、私たちは地上の現実の中で、地上の現実に適応して生きているのだというのです。

 ところがシュタイナーは、もう一つの生き方があって、その二つの生き方の間に橋を架けるのが人智学の課題だ、と言っているというのです。

 もう一つの課題とは、先ほどの生き方とは逆に、「体」が「魂」のために働き、「魂」が「霊」のために働くのだというのです。「肉体」は「エーテル体」のために働き、「エーテル体」は「アストラル体」のために働き、「アストラル体」は「自我」のために働き、「自我」は「霊我」のために働く、という形だというのです。

 この形も日常経験していることだというのです。「霊」、「魂」、「体」のうち、「体」が中心で、「魂」と「霊」がそのために奉仕する生き方と、「霊」が中心で、「魂」と「体」がそのために奉仕する生き方との二つがあって、人智学がこの二つをつなぐ橋を架けるということだというのです。(※「、」は筆者が付け加えました)

 この内容についてもう少し詳しく、もう少し深く理解されたい方は、さらに『シュタイナー生命の教育』をお読みください。よりわかりやすく、より詳しく書かれてあります。

■丹後半島巡り

 人の集まる場所とは、そうした不完全である人間の集まる所だとおもいます。寺や保育園もそうした例にもれずたくさんの人が絶えず集まる所です。

 私の思惑をはるかに超えて働きかけられた不思議なご縁をいただいて、保育園を営む寺での生活をさせていただく中で、公、私の狭間に立ち、ゆれ動く日々の生活の中で「寺とは?」を絶えず自問する毎日でもあったのです。

 もう何年に前になるのでしょうか。少なくとももう20年近く前にはなると思います。年も押し詰まって、子どもたちのお年玉を準備するために銀行に行ったのです。お金を出したあと、突然、どうしても自坊に足が向かず、そのままの足で、それとも一度寺に戻ってからのことだったのでしょうか、年の暮れから、新年にかけて初めて家を空けたことがあるのです。何日間だったのかも記憶にないのですが、寺にとってはとても大事な忙しい時ではあったのです。

 夕刻だったようです。どこに降り立ったのか降り立った駅名も定かではなく、そこが電車の終点だったのかもしれません。きっと小浜線を乗り継いで行ったのではないかと思います。夕日に照らされる中に、大きな島が黄金色に輝いていて、その光景に圧倒されて眺めいっている光景が記憶されているのです。

 ‘あの島は?’と近くの人に尋ねると“冠島”という答えが返ってきたのです。“ああ、これが冠島なのか”とひとしきり感慨にふけって眺めいっていたのです。そこが初めに降り立った所のように記憶しているのですが、今になって思うとそれがはたして“冠島”であったのかどうか。そうした地点から果たして“冠島”という島が、記憶にあるようにそんなに大きく見えるものかということも定かではないのです。そこを出発地点としてでしょうか、丹後半島を巡ったようでした。

 なぜそこを選んだのかも記憶にはないのです。ある講座での先生から雄島(冠島)、雌島(沓島)のことを尋ねられて、それ以来、気がかりだったところであったのかもしれません。それともそれ以来一度は行きたいと思っていて、そのとき衝動的にそこを選んだのでしょうか。今となると詳細は一切記憶になく、夢、幻の出来事のように思われるのですが、ただ断片的ではあるのですが、はっきりとした記憶と、その時撮った数枚の写真がまぎれもなく確実に行っているという証拠となっているのです。

 あれからそこへは改めて行っていないので、当時の断片的な記憶を基にパソコンで検索しながらたどってみなければならないのです。

 順路は定かではないのですが、京都府伊根浦にある、日本最古の「丹後風土記」に描かれている浦嶋子の物語の舞台となった「浦嶋神社」に立ち寄っているのです。時期も時期だったのか、場所的にもそうだったのか、どこへ行ってもほとんど人に出会うことはなかったように記憶しています。私一人のために神社の方に宝物資料館を開いていただいて、大小いくつかの同じ蒔絵が施された玉手箱や、絵図を拝見させていただいているのです。

 玉手箱の中にはいくつかの櫛や大、小の水晶の玉が入っていて、そのことを再確認していたことを記憶しているのです。『別冊太陽カタリの世界』によるとこの地方には浦嶋伝説にちなんだいくつかの神社があるそうですが、私の撮ってきた数枚の写真は、「浦嶋神社(宇良神社)」で検索した写真や書かれている内容とは一致しましたので、訪れたのはこの「浦嶋神社」だったということが確認できたのです。

 そして天橋立。全長3.6キロメートルといわれているその松林が続くその道をゆっくりと楽しみながら歩いた記憶もあるのです。ここでもほとんど人には会わなかったようでした。その途中にあった、両側が海であるのもかかわらず、真水の湧き出ている井戸があったことが記憶に残っていました。それは検索して確認してみると磯清水-砂嘴にある不思議な名水として古くから珍重されてきている井戸でもあるということです。あの股覗きで有名なスポットに上がって‘ここがあの股覗きで有名な場所なのか’と合点して、そこから天橋立を一望した記憶もあるのです。 

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