15作品全てを読み終わったとき、なぜこの小説集のタイトルが「庭」なのか考えた。「庭声」「広い庭」といった短編はあるが、ずばり「庭」という名の作品はない。

 庭とは、家と外界との境にある空間である。狭間といってもいい。本書は“庭のような場所”で起きる出来事を描き、その気配や手触りを伝える。そこでは日常と非日常、現実と幻想が入り混じる。

 「うかつ」では、やもりが境界の象徴として現れる。主人公は若い夫婦。妻は妊娠している。夫が帰宅すると、妻が駆け寄り「やもりが!」と叫ぶ。寝室の窓にやもりが張り付き、ガラス越しに腹を見せている。「取って」と妻が訴える。夫は「死骸だったらそれこそ気味が悪いじゃないか」と逃げる。

 数日後。「やもりがいなくなってる!」と妻。夫が見ると、やもりは変わらずにいる。妻が「夢でね、やもりがいっぱい出てくるわけ、やもりはざらざらしているの」と言う。やもりがぶるりと震える。

 夫は妻を、妻は夫を理解できない。夫からみれば、妻は異界に半歩、足を踏み入れている。やもりのいる側に。妻の膨らんだ腹は、やもりの腹のように不気味なのだ。では妻の目に、夫はどんな姿で映っているのか。

 「名犬」は、夫に連れられ、夫の実家に来た妻が語り手。夫婦は実家から車で温泉に向かう。妻が露天風呂に入ると、先客がいる。2人のおばあさんだ。方言丸出しの会話はいつしか、猿と犬が交尾して生まれた動物が人語をしゃべるという話題になっていく。

 作者の小山田浩子は、日常の光景に異物を紛れ込ませる。あるいは、登場人物がいつの間にか異界に入り込んでいる。触媒としてよく登場するのが、小さな生き物だ。ヤモリ、カニ、クモ、ドジョウ…。それらに導かれるように、人は見えない境界をするりと超えていく。

「広い庭」は、少年の目で庭をスケッチする。母に連れられ、母の友人の家に遊びに来た「僕」がひとり庭に出る。そこは絢爛豪華な生き物の世界だ。

「黄色と赤の模様のクモがさっと近づき糸を巻きつけ始める。乾いた穂が風にサラサラ鳴り、広い葉っぱの裏表を赤いハダニが移動して何匹かぼとぼと落ち、まっすぐな茎を黄緑のアブラムシがじりじり登り鮮やかな蛍光色の毛虫が移動した」

 読むうちに、ふだん見えていないものが見え、聞こえていない音が聞こえてくる。怪しく、魅惑的な「庭」という場所に捕らえられている。

(新潮社 1700円+税)=田村文

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