福島で原発事故が起きた時、欧州旅行中だった友人は、一緒に事故の映像を見ていた人に「ここで新しい生活を始めたらどうか」と勧められたという。あの時、祖国を失う恐怖をリアルに感じた人がいたのだ。

 世界には国を離れたり失ったりした人があふれている。難民や移民となった彼らにとって、母語とは何か、母国とはどんな所か。自らもドイツで移民として暮らす多和田葉子は、そんな問いを本作にひそませる。

 物語は、デンマークの青年、言語学の研究者クヌートが、自宅でテレビを見ている場面から始まる。「自分が生まれ育った国がすでに存在しない人」に話を聞くという主旨の番組に、東ドイツや旧ユーゴスラビア、旧ソ連に住んでいた人が出てくる。そしてHirukoも。留学中に故郷の島国が消滅し帰れなくなった女性だ。

 Hirukoは不思議な言葉を話す。スカンジナビアの人が聞けばだいたい意味が分かるという「パンスカ」は、彼女自身がつくった人工語だ。クヌートは彼女に興味を持ち、すぐに会いに行く。彼女は自分と同じ母語を話す人を捜していて、明日はドイツで開かれる「ウマミ・フェスティバル」に行くという。「うまみ」は母語にあった単語なので、同じ母語を話す人に会える可能性があるからだ。クヌートは同行を申し出る。

 当初2人だった旅が、どんどん増えていく。インド出身のアカッシュ、ドイツ人のノラ、日本人のふりをしているエスキモーのナヌーク…。舞台も移る。デンマーク、ドイツ、ノルウェー、フランス。Hirukoは母語で語り合える人に会えるのか。物語は思わぬ方向に転がっていく―。

 Hirukoの話す「パンスカ」が日本語で表現されている。「毎日、みんな、たくさんの文字、たくさんの素晴らしい絵を生産。それと比較すると、わたしの絵は永遠に二歳」「わたしの紙芝居への夢は巨人。紙芝居屋としてのキャリアはネズミ」。そんな会話を追っていくだけで愉快な気持ちになる。作家の遊び心が伝わってくる。

 でもよく考えると、この話し方には覚えがある。海外で自分や日本について、限られた単語を駆使して何とか伝えようとする時のあの感じ。

 多和田は常に移動しながら世界を見ている作家だ。国境を越え、異なる文化や人に触れつつ、言葉を手掛かりに物語を紡ぐ。

 さて、この奇妙な旅はどこへ向かうのか。

(講談社 1700円+税)=田村文

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