句碑を見ながら明智光秀に思いをはせる高尾察誠住職=福井県坂井市丸岡町長崎の称念寺

 ▽明智神社(福井市)

 光秀が5年余り妻子と共に居を構えたとされる福井市東大味町。1573年の信長勢による一乗谷焼き打ちや、その後の一向一揆をめぐる戦禍から村を救った2通の安堵状が地元の西蓮寺に残っている。柴田勝家とその家臣柴田勝定が出したもので、明智神社奉賛会委員の白崎俊行さん(68)は「光秀が勝家らに頼んだのだろう」と推測する。

 住民は恩人の光秀を「あけっつぁま」と敬慕し、3軒の農家が光秀の木像を守り続けた。しかし、光秀は逆臣とされていたため公にできず、1886年にようやく明智神社を建て、祭ることができたという。上文殊歴史研究会会長の笠松忠夫さん(78)は「親兄弟でも殺し合う戦国時代に住民を思った光秀の人柄を全国の人に知ってほしい」と大河ドラマへの期待を膨らませている。

 ▽熊川(若狭町)

 光秀の三女の玉(ガラシャ)のしゅうとめで、光秀の盟友である細川幽斎の妻、麝香(じゃこう)は若狭町熊川の出身とされる。同町は福井県、兵庫県、京都府の11市町などでつくる「NHK大河ドラマ誘致推進協議会」に加盟し、活動してきた。同協議会委員の森下裕町長は「さまざまな活動を行ってきたことが実を結び非常にうれしいニュース。一人でも多くの人にゆかりある熊川宿の魅力にふれてもらうきっかけになればうれしい」とコメントした。

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 県と各市町、経済団体、観光団体も2015年、誘致推進協議会を設立。福井を舞台にしたドラマ制作をNHKに要望している。事務局の県ブランド営業課の担当者は「福井が主な舞台になるとはいえないが、光秀と福井とのつながりに関する情報を提供し、脚本の参考としてもらえるよう努力したい」と話している。

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