【越山若水】外国語を聞くそばから日本語に訳していくのは、並の芸当ではない。もう旧聞ながら、先の南北首脳会談でも同時通訳の恩恵にあずかり、才能をうらやんだものだ▼訳者によっては、日本語がこなれないせいで原語並みにさっぱり要領を得ない場合がある。その点、名通訳ともなると違う。故米原万里さんが代表例だろうか▼ある国際会議でのファインプレーが関係者の記憶に残っている。深夜に及んでも議論がまとまらず、ロシア代表がしびれを切らして発言したのをこう大胆に訳した▼「長くうんざりした議論となっているので、そろそろまとめませんか」。行き詰まっていた会議は一遍に進んだ。元の発言にない「うんざり」が効いた。場を読んだ名訳だった▼全国に先駆け、福井県内の小学6年生で英語が教科になった。一事が万事で、日本は国じゅうで英語教育に本腰を入れ始めた。学校現場は大変だろう、と同情したくなるほどだ▼そこへ水を差すつもりは全くないけれど、数々の経験を積んだ人にして言える忠告があるので紹介したい。米原さん著「不実な美女か貞淑な醜女(ブス)か」(新潮文庫)から▼「単刀直入に申すならば、日本語が下手な人は(略)その日本語の下手さ加減よりもさらに下手にしか身につかない」。通訳を目指すのでなくても、母語をおろそかにしては外国語は上達しない。きっとそうだ。

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