いつもひらめきの鈍いわたしはずっと後になって、ようやくそのことの意味がわかったのです。この世の現実生活において、たとえそれが誰から見ても正しいと思われることであっても、自分の計らいを超えた世界から見たとき、正しいと言えないことがあるのだということをです。それは自分のしたいたいと思う思いのままを優先しようとする自我?、日常の低い自我、アストラル的自我ともいうのでしょうか、そうした自我に対して、そうした自我を超えて働く働きかけがあって、その講座での出来事はまさにこの働きかけだったのだということにようやく思い至ったのです。それ以来、自分がしたいと思うことと、しなければならないと良心のどこかで秘かに自分にささやきかけてくる声とのはざまに立たされた時、即答えが出ないときには、私は‘天の計らい’と名付けて答えが出るまで待つことにしているのです。それ以来ずいぶん生き方が楽になったように思われます。――

◆福井の雄島、雌島

 その日の夕方、これから始まるその人の講演会の準備に心忙しくしている私に「じつはねえ、福井へ来る前に私の車が脱輪してしまって、助けを求めて飛び込んだガソリンスタンドにこんな本があったので、そのガソリンスタンドの人に頼んでもらってきたの」と、一冊の本を見せてくださったのです。その本は、いくつかの日本の御伽草子の伝説にゆかりのある道具の写真や、その土地についての説明が書かれてあるものでした。その本をパラパラとめくって浦島太郎伝説の記述に目が止まりました。そして思わず驚いてしまいました。「……中には刷毛、櫛などの化粧道具と、水晶の玉が入っている」という文章が飛び込んできたのです。

 この講演の2、3日前、保育園を卒園した当時6年生だった末娘の同級生たちが保育園時代を懐かしんで、自坊でお泊り会をしたいというのです。その時に蚊帳というものを知らない子たちに昔の蚊帳を使ってあげたいという思いもあって、伯母の手作りの麻蚊帳を貸してもらうために実家に行きました。昔は女の子が生まれると麻を植え、それを嫁ぐときに蚊帳に仕立てて持たせたということです。伯母も嫁いでくるときに祖母と一緒に作って仕立てて持ってきたというグリーに赤い布で縁取りがしてある実に重い蚊帳です。以前から伯母から持っていくように言われていたもので、もらえるのであれば伯母が元気な間にもらっておきたいというおもいもあったからです。

 蔵に案内してくれた伯母が「そうそう、お前が嫁入りするときに持たそうと思って、いくら探しても見つからなかった玉手箱が出てきた。こひでさん(伯母の小姑さん)のと、おばばさんのを伯母さんが嫁に来る時に上の裂だけ張り替えたのとあるが、どっちでも好きな方を持っていくといい」と言って二つの玉手箱と称するものをどこからか出してきました。大きさ、形は同じようなものでしたがちょっと舌切り雀のつづらのような話です。

 「玉手箱って何に使ったの?」と聞くと、「昔は嫁に来る時嫁さんの先に玉手箱を持った人が歩き、中に化粧道具を入れて置き、道中の化粧直しに使ったんにゃ」とすっかり染まった浜言葉で答えが返ってきたのでした。その時の会話を突然思いだしたのです。もしそこに化粧道具ということが書いてなければその文章は目に止まらなかったでしょう。ところがほんの2、3日前に伯母が話してくれたことが、そのままその本に書いてあるのです。あまりの一致に驚き、ことのいきさつを彼女に伝えずにはいられませんでした。すると彼女はその玉手箱をすぐに見せてほしいといわれるので、玉手箱のしまってある2階に案内しました。

 「加藤さん、この中には、玉とか櫛とかはなかったの?」と、また聞かれるのです。玉手箱は、2、3日前にもらったのですが、そのずっと以前に祖母から叔母へと伝わったべっ甲の櫛や、珊瑚や翡翠のねがきやかんざしは、すでに私の手元に届いていたのです。玉手箱と一緒に伯母が結婚するときに着たという打掛も、もっていくように言われてもらってきていることを話すとそれも見たいと言われるのです。その時既に93歳になっている伯母のものです。ずいぶん昔のものですから、図柄も古いものです。出してきて着物掛けに掛けると「あっ!」とまた驚かれて「この家には何でもあるのね」と、感心されるのです。打掛の図柄は、松と富士を背景に空高く舞う天女を翁が見上げているさまが大胆に描かれているのです。そして、家紋は伯母の実家の家紋の三羽結び雁金でした。

 その時は、何かと気ぜわしく彼女がなぜそんなに驚くのかもよくわかりませんでした。なんだか狐につまされたような思いで、講義の準備の方にいつしか心は向いてしまっていたのです。

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