大学ではドイツ語や、論理学の講義の先生でおられた杉原丈夫先生の書かれた『越前若狭の民話』の本もそこで出会ったのです。講義内容から硬く、難しい世界の先生という印象しかなかったのです。その先生がこんな身近で親しみのある世界のおもしろい本を書かれていた、ということにとても驚きだったのです。そしてもっと早くにこの本に出合っていれば・・・という思いしきりだったのです。それ以来、その本を機会あるごとに読ませていただき、長らく参考にさせていただいてきていたのです。

 『言霊―ホツマ』鳥居 礼著(たま出版)の本ともそこで出会ったのです。 “こんな本に出合っていいのだろうか ”という大変な戸惑いのなかで、それでも見過ごして、購入しないでは帰れない思いのなかで購入した本でもあったのです。ですから、そこでのその本との出会いもはっきりと記憶しているのです。

 その本の中の――雛祭りの起源と天児(あまがつ)――によると、一般には雛祭りの起源について、雛祭りの原型が、いわゆる祓の道具の形代、天児(あまがつ),婢子(ひし)であったり、平安時代頃から貴族の子女の遊びとして行われていたひひな遊びの「ひひな」が語源であろうとされているが、確実な資料がないというのです。しかし、『ホツマ』には雛祭りの起源についての明らかな記載が詳細に書かれているのです。

 それによれば、雛祭は、婚礼の儀式を始めた大濡煮尊(うひぢにのみこと)、少濡煮尊(すひぢにのみこと)の幼名、 桃雛木(ももひなき)、桃雛実尊(ももひなみのみこと)の「ヒナ」の祭りであり、人形はその二神の夫婦和合する、男神、女神の姿を表現したものによる婚礼の儀式の確立にあるというのです。さらに、雛祭りの神酒、いわゆる白酒についての由来、酒は笹気・「ササケ」は、笹や竹から出る気のことでその気を生かして酒が作られるようになった由来についても書かれているのです。

 玉手箱の伝承は、雛祭のようにポピュラーに伝わっているものではないようですが、もう一つの流れとして秘かに伝承されていたものであるのでしょうか。

 ここでは、玉手箱と称して実際に私に伝わっている「玉手箱」の流れのほうに目を向けていきたいと思います。

◆福井の雄島、雌島

 私が「玉手箱」に対して意識的に向き合うようになったきっかけについて書いた文章です。

 あれはいつのことだったのでしょうか。もうかれこれ10年も前になるでしょうか。京都でのある講座が終わって、いつものようにその講座の講師の先生を囲んで食事をしているときでした。突然、「加藤さん、確か福井県だったでしょうか。雌島,雄島といわれている島がありますね」とその先生から声をかけられました。

 それがどこをさして言われるのか、その時にはよくわからなかったのですが、後で詳しくお聞きして、舞鶴近辺の沖にある冠島や沓島を指していることがわかりました。その時をきっかけに不思議な思いに包まれながら、その不思議を追い求める私の心の旅が始まったのです。

 それから何年かして、福井でその先生をお招きして、福井カルチャーセンター主催での講座が行われました。その講座に参加した人たちと冠島、沓島を訪ねる計画を立てました。そこは福井と京都の県境に位置している所で、どんなに工夫しても福井から日帰りで行くにはとうてい無理なことがわかりました。仕方なく、その旨をその先生に連絡すると「そんなに遠くまで行かなくってもいいんですよ」と言われるのです。「なあんだ、それならそうともっと早くにお聞きすればよかった」と、思う反面、ほっとしたおもいでもありました。

 そしてその旅行の二日前の日になってまた突然、「今、三国に来ているのだけれども、加藤さんの育ったところはどこですか?」と先生から電話がありました。なぜそんなことを聞かれるのだろう。私の育ったところに何の意味があるというのでしょう。またもや不思議な思いにとりつかれました。

 そして、ふと頭に三国の雄島と糸崎の亀島のことが思い浮かびました。日頃、私は保育園の子どもを通して昔話に親しんでいます。

 それで、当然亀島から浦島太郎のお話を思い浮かべてしまいます。その電話以来何かと浦島太郎の話が気になり始めました。

 幸い私には、長年一緒に講義を受けてきた仲間の人に、昔話の読み解きを深く研究している方がおられます。友人と呼ばせていただくには少しご無礼かもしれませんが敢えてそう呼ばせていただきましょう。その人にお願いして浦島太郎のお話の読み解きをしていただくことになりました。

 お願いした時は中秋の名月の季節でしたので、その友人はかぐや姫のお話の読み解きもしていただくことになりました。

 読み解きをしていただくその日に、友人から電話が入りました。「鶴と亀が必要なんだけれども、鶴はあるが、亀がないから困っている」という電話です。

関連記事