人や物が地上に落下することなく、いつまでも空中にとどまり続ける状態を作り出す技芸は、古代の中国で「散楽」とか「雑戯」とか呼ばれていてこれらの技芸は国家というものが生まれる以前の、新石器文化のなかですでに発達をとげていたものだという。そして、その精たちは、中世の芸能・技芸にたずさわるものたちの守護神である、「守宮神」のひとつの顕現の姿と考えられていたというのです。

 「守宮神」は猿楽や田楽の芸人ばかりではなく、造園の技術者である作庭家や大工にはじまる、もろもろの技を見守る、重要な神、または精霊であったというのです。

 このように守宮神は‘シュグジ’とも‘シュクジン’とも呼ばれ、中世において芸能と密接な関係を持った神だというのです。

 この神は「古層の神」であって、祀る大きな神社もなければ、国家による認定もなく、家の中の小さな祠に祀られて、世間からは得体の知れない精霊の扱いを受けていたが、芸能者・職人にとっては、重要な存在だったというのです。

 猿楽者は芸能の守護人として「宿神」を祀るだけではなく、宿神の住む空間の構造そのものを探求して、その構造を身体の芸能として表現しようとしたというのです。

 今日の能でも、「式三番」として演じられる演目の最初に登場してくる「翁」には猿楽芸の演じられる、空間全体の本質を体現していて、もっとも重要な存在として特別視されたという。そして、この「翁」こそ宿神に他ならないという秘密の伝授が、師から弟子へとひそかに伝えられていたのだという。その秘密の伝授というのが金春禅竹が書いた『明宿集』だというのです。

 楽屋は暗黒の空間であり、出番を待ってこの中にじっと身を潜めている芸人は、自分はいま母親の胎内にいるのだと観想しなければならないと『八帖花伝書』は語っているという。

 『明宿集』によれば、推古天皇の時代に、泊瀬川に洪水が起こり、上流から一つの壷が流れ下ってその中にはたった今生まれたばかりの子どもが発見されたという。そして、その子どもは秦の始皇帝の生まれ変わりだと名乗ったという。そしてのち猿楽の道を創始した「秦河勝(はだのこうかつ)」であるというのです。

 秦河勝は「猿楽の道」を創始し、その技を子孫に伝えたあと、現世に背を向けて、うつぼ舟に乗り込んで、西方の海上を漂流したあと、播磨の国の那波にある坂越(サコシ)の浦に打ち寄せられて「大荒神」となったという。大荒神とは「胞衣」の象徴であるというのです。

 坂越(サコシ)はあきらかにシャグジの仲間だという。シャグジとはいかなる神なのか「サ+ク」・「サ」音が「カ」行音と結びつくと「境界性」を表す言葉となるという。

 これまで福井にも何度か足を運んでくださっていて、『カタリの世界』の本をご紹介いただいたり、天神様や玉手箱についてもいろいろな示唆をいただいたりしてきて、「仏舞」についてもお願いして調べていただいていた、長らく人智(シュタイナーの思想)を共に学んでこられた知人・片桐節也氏は福井の『笏谷石」の「笏谷(シャク→シ+ク)」という地名も音からシャグジと結び付くのではないかといわれるのです。

 うつぼ、あるいは胞衣をかぶって生まれてきた特異な子の話は世の東西を問わずいろいろな話として語り継がれてきているという。桃太郎は言うまでもなく、瓜子姫、一寸法師、赤ずきん、そして座敷わらしにまで及ぶという。

 そしてここでは詳しく述べることはできないので、内容的に随分と飛ぶことになるのですが、猿楽の「翁」はクレチアン・ド・トロアの書いた有名な「聖杯の物語」の“聖杯”とも結びつくのだという。この物語は、古いケルトの伝承であるアーサー王と円卓の騎士の物語と、古い起源を持つ、十字架上のキリストの血を受けた杯である聖杯をめぐる伝承とを一つに結び合わせて書かれた物語だというのです。

 近年私の周りでは『聖杯の物語』についての講演がよく行われるようになりました。以前高橋巌氏による「パーシヴァル(聖杯伝説)」の講演を聞いて以来、ずっとその“聖杯”についてもっとその深い意味を知りたいと思っておりましたので、機会があれば受講したいと思っておりました。しかし、残念ながらいつもその機会を逸してきてしまっているのです。

 聖杯とはその意味するところにおいて少し違うのかもしれませんが、日本においては浦島伝説にもあるように“玉手箱”として伝えられてきている伝承があるようなのです。他県ではどうなのかわかりませんが、少なくとも福井の旧清水町においては玉手箱(清水町の資料館では確か箱せこ、小箱と銘々されてあったように思いました。当時の清水町の人たちの間ではそう呼ばれていたのでしょうか)として嫁ぐ娘に持たせ、そのなかには化粧道具が入っていて、道中の化粧直しに使ったといわれているのです。

 この玉手箱(小箱)を少し調べてみると、玉手箱の中には化粧道具あるいは「玉」を入れ、それは「高次の魂の伝授」として昔の日本においてはその精神性が伝授されて来ていたのではないだろうかと思えたのです。

 何年か前の、NHKの朝のドラマでも旅館を扱っていた大女将から女将への玉手箱の伝授が出ていて、ああ、日本にはこうした玉手箱の伝授という習慣があったのだということを知って、私も伯母から‘たまてばこ’という呼び方で古代切れの貼られた玉手箱なるものをもらっていましたのでとても感慨深かったものでした。

 さて、孫渡しとしての天神様への疑問からいろいろな方の書かれたものに導かれてそのつながっている道筋をたどらせていただいてきました。

 こうした世界の探求はこれが正解だというきちんとした解答は得られることはないかもしれません。

 しかし、そこには子どもの育ちへの、エネルギーに満ちた生命力と高次の世界につながる精神性を願って家族によって心をこめて贈られてきたものが、いつの日か、子どもに降りかかる災いをさけるためのものであったり、この世をより有利に生きて行くための願いから学問の神様に変わっていったり、その深い意味はわからないが形骸化しながらも習慣として行われてきたりしてきているのかもしれません。

 片桐氏の紹介によって、京都に住まれる仏師樋口孝夫氏によって彫られた「宝珠を持つ童児」との出会いがあったのは、孫渡しの天神様について考えるようになってから間もなくのことだったのです。

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