【越山若水】北村薫さんの「太宰治の辞書」(創元推理文庫)は、本にまつわる中堅編集者の諸体験をつづった短編小説集である。その中にこんなエピソードが紹介されている▼編集者が新人の頃、ベストセラーを生んだ先輩に「儲(もう)けを出した、お手柄だったんですね」と話しかけて、ひどく怒られた。「本屋に儲かるってことはねえ」▼戸惑っていると、別の先輩が説明してくれた。「損をすると分かっていても出すべき本がある。本屋は売れない本を出すために稼ぐものだ」。とても感動的だった▼心が躍るこの逸話を老舗の書店員にうれしそうに語り伝えた。すると後日、その店員は店の隅で編集者に耳打ちして教えてくれた。「別の社の営業の人が『そんなの嘘(うそ)っぱちだ』と言ってましたよ」▼そしてたしなめるような口調で続けた。「編集さんは本が売れなくても、作ったということで満足出来(でき)る。でもね、営業の人は、売れなかったらどう満足したらいいの?」▼立場が違えば見方が全く変わることに気づかされた。損をしてもいい本などなく、大事なのは値段が高くても買ってもらえるいい本を作る努力である▼政治の世界を典型として、社会には各界各層いろんな考えの人がいる。沖縄県名護市では米軍飛行場移設が長年の課題だった。新市長は複雑な立場の違いを超えて“より良い判断”を下せるか。腕の見せどころだ。

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