『古事記』にも、かくて、建(武・竹)内宿禰が太子(応神天皇)をお連れして禊をしようと、近江、若狭国を経て、越国の角鹿に仮宮をつくりお住まいになっていた。その時、土地の神、伊奢沙和気の命が夢に顕れて、「我が名と御子(応神天皇)の名を取り替えたいと思う」と仰せになった。それは恐れ多いことなり、「お取り替えしましょう」と申しましたら、またその神は、「明日の朝、浜にこられよ」と仰せになった。翌朝の浜には、鼻の破れたイルカが浦に寄っておった。そこで御子が神に「私に御饌つ魚をいただきたい」と申しましたので、この神の御名をたたえて「御食つ大神」と申します。その神はいまでも「気比の大神」と申します。またイルカの血が臭かったので、その浦を血浦といい、今では都奴賀といいます。とみえる。と。

 応神天皇はもと「イザサワケノミコト」が御名であり、大神は「ホムダワケノミコト」なのである。「ホムダ(鞆)」=「武具」と、「イザサワケ」の名を交換した後、神は応神天皇にイルカという「御食」を贈ったのであるから、「イザサワケ」は「御食」の語源をもつものと考えられはしまいか。

 すると、もともと「武神」であった角鹿氏の奉祀する氏神ホムダワケは、朝廷(天皇)と交渉することによって朝廷に御食を捧げる御食つ神気比(笥比)大神となったのである。

 だから、応神天皇の還幸の時、『古事記』によると神功皇后は、「待酒」(待ち人が無事に来ることを祈るための酒)を造って、この御酒は我が御酒ならず酒の司常世に坐す石立たす少名御神の神寿ぎ狂ほし豊寿ぎ寿ぎ廻し献り来し御酒ぞ乾さず食せささ(この酒は私の作る酒ではなくて奇しき神として常世にいます岩として立っておいでのスクナビコナノ神が、言祝ぎ踊り喜びあそんで栄え言祝ぎ祈り舞い廻られて、贈り下さった神酒なのです。だから残さず さあさあ)

 と詠まれ、大きな酒盃を差し上げたと書かれてあります。

 さて、話を「桃太郎」に戻したいとおもいます。

 「桃太郎」の話はいろいろな桃太郎の話に再話されています。

 知人の紹介による『日本昔話100選』稲田浩二、和子によると、大きくなった桃太郎は近所の人がいっしょに山へ行きましょうと誘いに来ても、

 「今日は‘わらじ’を作らにゃならん」とか

 あくる日には「今日は‘背な当て’をなわにゃならん」とか

 その次の日には「今日は‘鎌’をとがにゃならん」と言うて動こうとせん。というのです。

 そのわらじ・・・意志(手足)の育ちの象徴、

 背な当て・・・感情(胸部)の育ちの象徴

 鎌をとぐ・・・思考(頭部)の育ち象徴

 このように、きちんと再話された「桃太郎」のお話には人間の成長の過程、意志、感情、思考と子どもの成長の節目がきちんと語られているというのです。人間としての成長の過程をきちんと踏んだ後に、鬼が島に鬼退治に出かけたというのです。

 鬼についても解釈するといろいろと大変な世界がひも解かれて来るようです。が。ここでは先を急ぎたいとおもいます。「鬼のパンツ」から読み解かれるように鬼は「鬼門」を表し、それに対する「犬、猿、鳥」は方位としても読み取ることができるという助言もいただたことを付け加えて・・・。

関連記事