【越山若水】1992年のコピーに、こういうのがあった。「時は流れない。それは積み重なる」。ウイスキーのテレビCMで、老境に差し掛かった英国の名優が出演していた▼時間や歳月を重ねて酒は熟成し、人も成熟するというのだろう。いたずらに馬齢を重ねないように、という忠告のようでもあり、味わい深さに感心したものだ▼このコピーが世に出る3年前、羽生善治さんは将棋の7大タイトルの一つを初めて取った。そこから獲得を積み重ね、とうとう前人未到の「永世7冠」を達成した▼直後に語った言葉は円熟とは程遠い。「盤上はテクノロジーの世界。日進月歩で進み、過去の実績は意味がない」。まるで81マスの盤上に真理を追究する若き科学技術者である▼羽生さんは以前にこうも言っている。「新しいアイデアのなかにはごくまれにもともとの大前提を全てひっくり返すものがある」。すると自分の経験則がむしろ邪魔になる、と▼広い視野の真ん中で捉えているのは、飛躍的に進化する人工知能(AI)だろう。人間が勝つのは難しくなっていると認めながら、進化を楽しみにしているふうもある▼将棋界には年齢による衰えを表す「45歳の壁」があるらしい。47歳の羽生さんも髪に白いものが目立つようになったが、その目は変わらず先を見据えている。AIの可能性と限界を、盤上で見極めてもらいたい。

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