◆獅子ゆずに聴く

 畑の隅にその背丈が軒下にも届かないそれほど大きくない‘獅子ゆず’別名‘鬼ずの’木があります。この木がいつ植えられたのかはわかりません。今年もその木にたくさんの大きな実をぶらん、ぶらんとつけているのです。優に50個以上はあるでしょう。今はまだ青みの部分もあって完全に黄色く色づくまでにはなっていないのですが、しかし、完全に色づくのも時間の問題でしょう。

 初めの頃はその木の存在に気づかず、実も落ちるがままだったとおもいます。その木(というより、その実)に気を止めるようになったのは、5、6年前の頃だったように思います。畑に落ちて転がっているその実の大きさやでこぼこした形の奇妙さにです。

 ‘いったい何の実なのだろう’。あまり見たこともないその奇妙な実が気になって、その木を植えたであろう人に聞いてみました。しかし‘鬼ゆず’とか言うらしいというあいまいな返事が返ってきただけでした。‘ゆず’という名が付くのであれば、毒ではあるまい。折角の実です。落ちるがままにしておくのももったいない。ゆず風呂や、お正月の飾りにでも使ってみようと思ったのが始まりでした。

 虫に食われたためか、台風の強風のためか、まだ少し早いと思われる時期に黄色くなって落ちてしまっていた実を拾ってきて、さっそく例年のごとくにママレードにしてみようとおもいました。そこで、はて?と思ったのです。この獅子ゆずは、一体私にどうしてほしいのだろうと。一般に,ママレードを作るときには、その厚いワタ取って皮を細かくきざみ、一度茹でこぼして、やわらかくなったら砂糖または蜂蜜で味付けするのだそうです。しかし、‘一物全体’。この世のものは、すべて‘その全体ですべてである’のだから、ワタを取らずになるべくそのすべてを使い切ろう。

 そして茹でこぼす?茹でこぼさない?その違いは?それは獅子ゆずをいかに十全に生かして料理しようとするのか、いかに口当たり良くおいしく作るかの選択でもあるように思われました。それには自分で確かめてみるしかない。そう思って、二通の方法でやってみました。

 わかりました。一般的には、ゆがみが少し抜けるので茹でこぼした方が当たり的にはいいのかもしれません。しかし、茹でこぼした分には、その分にも獅子ゆずの構成物が含まれているはずです。それを失うことになるのです。‘すべての物のどんな微細な部分においてもそれぞれに大切な役割がある’そう思えました。そして、煮こぼさない方が味覚的にもその多少の苦味の中に含まれている味がさらにその味に重層感を与え、感じ方ではかえっておいしく感じられるように思えたのです。

 では、味付けは?。 砂糖で? はちみつで? ある人は、この獅子ゆずで味噌を使ってゆず味噌を作るのを楽しみにしているのだそうです。こうした獅子ゆずの声に耳を傾けながらのママレード作りは、その切り方から始まって一個一個においても微妙に異なってくることに気づいたのです。

◆鳥と猫

 また、7月だった頃でしょうか、8月だった頃でしょうか、まだ暑い日が続いていた時のことでした。部屋の隅に置かれたストーブをガードするためにつけられている柵の近くでバタバタと音がするのです。

 一体何が?と思う間もなく、うちの猫が突然飛びかかったのです。その途端バタバタと一羽のスズメより少し大きめの鳥が、突然その柵の中から窓際に飛びあがりました。誤って窓から室内に飛び込んできてしまっていたのでしょうか。

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