とある深夜の散歩から物語は始まる。カップルになりかけている大学生。飲み会の後、男が女に、「今ここを流れている川をたどれば、君の家までつながっているはずだから歩いて帰らないか」と持ちかける。明け方までかけて歩きまわりながら女は、男の複雑な家庭事情を聞かされる。自分の愉快な家族たちを男に会わせたいと思う。明け方、家に着いた2人を、女の家族はごく普通に受け入れ、男はちょくちょくその家を訪れるようになる。彼にとって、女とその一家の明るさはまぶしく、同時に妬ましいものだった。

 次に描かれるのは、男と別れて何年か経ち、すっかり大人になった彼女の悲劇だ。ネットサーフィンで行き着いてしまった、いかがわしいサイトに、かつての自分の写真があった。あの頃、男にねだられて撮った、裸の自分の写真が。

 不信、悪意、見下し、妬み。あらゆる負の渦が彼女を飲み込む。撮ってすぐに消させたはずの画像だ。それがなぜか人目にさらされて、見ず知らずの男たちによって、あらゆる「品評」がコメントされている。なぜこんなことになったのか。どうすればこんなことが起きずに済んだのか。悪いのは自分なのではないか。そんな写真を男に撮らせた自分。男の前で、男には味わえなかった、屈託のない幸せをまき散らかしていた自分。屈託のない幸せに、罪悪感さえ抱く主人公。親友も家族も屈託なく、味方になって結束してくれるから複雑だ。一方で、同僚からは心無い言葉を受けて、傷つきながらも彼女は、いつもの生活を遂行する。注意深く、的確に。

 一度歩みを止めてしまったら、二度と立ち上がれないから。

 男の方の物語も語られる。画像を完全に消すことなく、メモリーカードに保存し続けていたことは認めるが、それが流出した経緯についてはまるで身に覚えがない。彼もまた、彼女に対して抱いていた感情をさかのぼる。自分が味わってきたような、家族から拒絶される哀しみを、知りもしないで幸せを謳歌していた女への複雑な気持ちを。

 事件の全容は、わりとあっさり明かされる。しかしこの本の軸足は、そこにはない。自分の身体を、尊厳を、見ず知らずの誰かに踏みにじられ、蔑まれた女性が、いかに自分を取り戻すか。いかに、自分に、幸せになることを許すか。その道のりを、丁寧に、丹念に、一歩ずつ積み重ねたような一冊だ。

 愛してくれる誰かと一緒に、自分を誰にも明け渡さず、すみずみまで陰りのない幸せを生きていくということ。どこで生きるどんな人にもそれは可能で、今日からだって始められる。すべては、自らの決心。それひとつなのである。

(双葉社 1400円+税)=小川志津子

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