北朝鮮の平壌国際空港に掲げられた故金日成国家主席の肖像画。こうした肖像画が部屋ごとに飾られていたという=2004年5月

 平壌郊外のコンクリート2階建ての施設。招待所と呼ばれるところだ。浜本富貴恵さん=1978年失踪当時(23)=は毎朝目が覚めて、大きな花柄のような、派手なデザインの天井が目に入るたび「ああこれが現実か。夢じゃないんだな」と心が締め付けられ、涙が止まらなかったという。部屋ごとに金日成国家主席の肖像画が飾られており、徐々に北朝鮮という国であることを認識していった。

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 監視役の指導員は、夜になると、自宅に戻った。平壌郊外の別の招待所に連れて行かれた地村保志さん=同(23)=は、指導員がいない夜中になると、部屋に備え付けられていた真空管の古いラジオに聞き入った。電波の影響か、福岡県の放送やNHKが入った。毎晩「自分たちがニュースになってはいないか」とチェックしたが、一度も流れなかった。

 当時はラジオのチューナーを合わせるダイヤルは、自由に回せた。後に、拉致問題や核ミサイル問題などで北朝鮮が国際社会から非難され始めると、ダイヤルは固定され、情報統制が強化された。

 保志さんは指導員に「なぜ拉致した?」「帰るにはどうすればいい?」と何度も問い詰めたという。しかし指導員は「祖国統一のためだ。北朝鮮のために手伝ってほしいと、日本人に言っても来てくれないから、仕方なく拉致した」と繰り返すだけだった。

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