【越山若水】延長11回だった。2死から1―1の同点に追いつき、なお一、三塁。監督は一塁走者に指示を出した。走れ。そして二塁手前でこけろ。いいか、本気で倒れろ、と▼描かれているのは1985年夏の甲子園のひとこま。創部3年目で初出場し4強入りした滋賀・甲西の監督が主人公だ(山際淳司著「江夏の21球」角川新書)▼素質に恵まれた選手は少ない。連打が期待できないからバントで確実に走者を送る。盗塁も絡める。そんな甲西の攻め方は同時に、甲子園の常道というものだった▼時代は本当に変わったと、この夏の大会を見終わって思う。本塁打が飛び交い史上最多の計68本。優勝したのも、1試合平均約10点を挙げ相手を粉砕した埼玉・花咲徳栄だった▼なぜ、こんなに打撃が目立ったのか。素朴な疑問が湧きバットかボールのせいだ、投手力の問題、風も一因などとファンの格好の話題になった。本当のところはよく分からない▼まだしも確かなのは選手が相当の鍛錬を積んだのだろうということ。何しろ昔とは体格が違う。米大リーグのパワーを見慣れ、国際規格の体を目指すからかもしれない▼それだけに県代表の坂井は改めて高く評価されていい。監督や選手自身が「本当に打てない」と認めていた。だからバントやエンドランを絡め、相手の強打と渡り合った。“甲子園戦法”はどっこい生きていた。

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