そこへジムを共同運営する畑山(隆則)から「そんなやぶ医者やめろよ」と連絡があって、それをきっかけに東大病院へ行く段取りが付いた。それまでは免疫療法にしろ抗がん剤にしろ、何かにつけ医者はエビデンスがどうのこうのと上からガツンと言ってきた。ところが東大病院では同じ目線の高さで話してくれた。抗がん剤や尿路変更などの質問に懇切丁寧に答えてくれ、「この病院で治療を受けたい」と思いました。

もうやるしかない、ってだけだった

──抗がん剤の副作用や手術後の痛みと闘われましたが、がん宣告以降、最もつらかったことは?

竹原慎二(たけはら しんじ)/1972年生まれ。広島県から16歳で上京、1989年プロデビュー。1995年日本人初のWBA世界ミドル級チャンピオン。翌1996年初防衛戦で敗退、網膜剥離で引退。プロ通算25戦24勝1敗。2002年7月T&H竹原慎二&畑山隆則のボクサ・フィットネス・ジムを開業。(撮影:今井康一)

 治療に入る前までがいちばんつらかった。抗がん剤が始まったときにホッとしたんです、やっと治療に入れると。あまりに紆余曲折すぎる過程、かかりつけ医だったA先生の横やり、そのときの精神状態がいちばんキツかった。こんなデカい図体して何度も泣いた。免疫療法をはじめ女房が一生懸命情報を集め、これはというものを勧め、力になってくれた。子供も2人いる。もうやるしかない、ってだけでしたね。

──ボクシングの試合前は常に恐怖心との闘いだったそうですが、2014年6月の手術前も同じでした?

 東大病院に手術入院するに際し「いよいよ決戦、絶対に勝つぞ」と思いました。でも違うのは、ボクシングは自分の力。手術は僕からすれば他力本願。どっちが緊張するかと問われたら、そんなのボクシングに決まってるよと。手術は任せるしかないから。下手すれば手術中に死ぬ可能性もあるし、信じて任せるしか。でも、何としても勝たないと、と思いました。


──本に「僕はネガティブなタイプ」とあります。「もう終わりだ」と天を仰ぐ場面も何カ所か出てくる。でも効きそうと思う療法はとにかく試すポジティブな患者でした。

 免疫療法にしてもビワの葉療法にしても食事内容の変更も、女房がとにかくネットや本で調べまくってくれたんですよ。僕自身は現役時代からネガティブ思考で、試合が決まると「絶対勝てない、どうしよう」と練習に向かったタイプ。でも今回は負けイコール死でしたからね。

 免疫力を高めるには笑うのが一番、と女房が調べてきて、お笑いのDVDをいっぱい借りてきて無理やり笑ったりしてた。手術後の病理検査の結果でいい報告を受けたとき、やっと自然に「え~、マジですか!」と笑えた。残りの人生、作り笑いでも何でも、笑っていたほうがいいな、笑っていかないとダメだなと思った。

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