信頼していた医師たちに振り回され、突然の膀胱がん余命1年宣告。夫婦2人で立ち向かい、転移の可能性が高い術後2年の山を乗り越えた。率直な筆致で思いや行動をつづったがん闘病記『見落とされた癌』を書いた元WBA世界ミドル級チャンピオンの竹原慎二氏に聞いた。

 

なぜ医師は見過ごしてしまったのでしょうか。闘病生活について聞く(撮影:今井康一)

──最初の異常は頻尿でした。

 2013年の頭ごろに気になりだした。十数年来懇意にしてたA先生のクリニックで検査してもらったら、膀胱炎だと。でもその後改善せず数回検査をしたけど、やはり問題なし。秋ごろには排尿時に激痛が走り、年末に報告すると「チャンピオンはお酒飲みすぎだよ」とか「チャンピオンは大げさだ」と言って、前立腺炎、前立腺肥大と診断されました。

 そして大みそか、血尿が出るに至って、総合病院のB先生を紹介された。A先生には結果的に1年間放置されたことになる。そしてB先生の元で尿細胞診を受けたんだけど、その検査結果はほったらかしにされていたことが、後々わかりました。

腫瘍は2.5センチメートルに

──検査結果を伝える次回予約もなかった。1軒目、2軒目と病院側の対応がなおざりすぎませんか。

 様子を見ましょう、とだけ。A先生からB先生に、大したことないのに僕が大騒ぎしてる、みたいな伝言があったんじゃないですか。当時はまだ42歳だったからまさかがんとは疑わなかったのかも。

 検査後1カ月して大量の血尿が出た。こちらから受診に行って、そこでがんが判明しました。「よく調べたら、クラス5(陽性)と出てるよ」って平然と。何が何だかわからなかったですよ、エーッ、どうして?って。1年前から不調を訴えてたのに、何で今頃?って。結局、腫瘍は2.5センチメートルで筋層まで達する進行したがんでした。

──2014年2~3月はまさにジェットコースター級の日々でした。

 

 突然膀胱がん宣告を受け、以降、浸潤してない・いやしていた、セカンドオピニオン、サードオピニオン、膀胱温存できないか・いや全摘しかない、余命1年宣告、ステージ4・5年生存率25%を告げられ、東大病院でのフォースオピニオン、リンパ節転移発覚、B先生の病院入院前日に東大病院へ変更等々、日々事態が二転三転しましたね。この2カ月で何度落ち込み、泣いたことか。B先生には「本当にこの人に託していいのか。でももう時間がない、任せるしかない」と入院予約したわけです。

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