茶わんの内部に虹色に輝く結晶が表れた「エメラルド釉窯変結晶茶わん」(個人蔵)。2011年ごろ完成させた

 2015年に94歳で亡くなった天目釉(ゆう)の第一人者木村盛和さん=福井県越前町。11年に宝石のような輝きを放つ代表作の一つ「エメラルド釉窯変結晶茶盌」を生み出したように、窯変や釉薬への探究心は最晩年まで衰えることがなかった。越前町の県陶芸館で開かれている三回忌特別追悼展は、窯変結晶の神秘的な輝きを追究した一途な生涯をたどっている。

 遺族から同館に寄贈された作品に京都国立近代美術館の所蔵品も交え、約70年の変遷を網羅する展覧会。日本伝統工芸展優秀賞に輝いた「天目釉変り皿」(64年、同美術館所蔵)など京都時代の代表作から、福井で取り組んだ鉄銅釉の大壺、中東の工芸に着想を得た耳扁壺、エメラルド釉の茶わんまで48点を並べている。

 木村さんは幾多の名工を輩出した清水焼の産地、五条坂で育ち、陶工だった父の背中を見て陶芸の世界へ。37年に国立陶磁器試験所に入所し、窯業化学を学んだことが後の鉱物と釉薬研究の礎となった。戦後に独立し、66年に造成された「山科清水焼団地」に入居。天目釉に木の葉を乗せて焼成する「木の葉天目」で全国に名を知らしめた。

 京都時代から晩年まで、弟子として木村さんに寄り添った陶芸家佐々木禅さん(67)=越前町=は、窯出ししたぐいのみ180個の中にただ一つ、きれいな木の葉天目を見つけたときの木村さんの笑顔が「今も忘れられない」と語る。試行錯誤の末に焼成に使ったのは、ケイ素を多く含む丹波のムクノキの葉。生い茂った木の葉は焼くと水分で丸まってしまうため、枯れ落ちる晩秋のいっときを狙い、丹波へ通い詰めた。着手して7、8年越しの成果だった。

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