【論説】1961年の国連演説で、ケネディ米大統領はギリシャの故事を引いて言った。

 「地球に住む全ての人間が、核というダモクレスの剣の下で暮らしている」

 その剣は細い糸でつるされている。糸はいつ切れても不思議ではない。事故か誤算か、あるいは狂気によって―。

 広島はきょう6日、「原爆の日」を迎える。長崎も9日に原爆犠牲者を慰霊する式典を開き、被爆地から反核と平和のメッセージを全世界へ発信する。

 半世紀以上も前のケネディ演説を思い出しながらヒロシマ、ナガサキと連帯したい。

 ■減る歴史の証人■

 倒壊した家屋の下敷きになって身動きが取れず、迫り来る炎に焼かれていく肉親。それを、なすすべもなく見守るしかなかった大勢の被爆者。「核というダモクレスの剣」がもたらしたのは、まさに生き地獄だった。そんな経験から、自分が生きていることに負い目すら感じる被爆者もいる。

 原爆投下から72年。こうした歴史の生き証人は年々減っている。厚生労働省によると、被爆者健康手帳を持つ人は今年3月末時点で16万4621人。この1年間で9581人が亡くなり、平均年齢は81歳を超えた。

 広島、長崎両市が主催する式典には毎年、各都道府県の遺族代表が参列する。しかし長崎の場合、今年の式典には16県が欠席するという。被爆者に加え、遺族の高齢化も進んでいるのが実情だ。

 ■いつでも発射の恐れ■

 一方、世界には約1万5千発の核がある。このうち1800発はいつでも発射できる「高度警戒態勢」に置かれているという。たとえ事故であっても、いったんボタンが押されれば核攻撃の応酬となり、世界は破滅のふちへと追いやられる。

 そこで「核なき世界」を唱えたのがオバマ氏だった。昨年は現役の米大統領として初めて広島を訪れた。ところが、代わって大統領となったトランプ氏は核兵器の刷新・増強を進める意向だ。

 呼応するかのように、ロシアのプーチン大統領も質的な核軍拡に動いている。米ロの間には核軍縮の新たな機運は何ら感じられない。

 さらに懸念されるのは北朝鮮である。弾道ミサイルの発射を繰り返し、日本や韓国だけでなく米国本土を核攻撃の射程に収めようとしている。

 唯一の明るい兆しといえるのはことし7月7日、核兵器の開発や保有、使用、使用の威嚇を禁じた核兵器禁止条約が国連で採択されたこと。しかし、九つの核保有国は無視を決め込んだ。傲慢(ごうまん)であり愚かだとの、そしりは免れないだろう。

 ■核抑止論は非人道的■

 責任の一端は、唯一の被爆国日本の政府、為政者にもある。そもそも条約交渉に加わることさえしなかった。「核保有国が参加しないまま交渉を進めれば、国際社会の分断が深まる」との理由だったが、「核の傘」を提供してくれる米国に配慮したのは明らかだ。

 世界を滅ぼしかねない核兵器は「実際には使用できない兵器」といわれる。使えば報復され、自国も破滅するからだ。そこで核保有国同士、その力を均衡させて平和を保とうという核抑止論は、現実的に見える。

 しかし、それは極めて非人道的な安全保障観だとの指摘もある。自国を守るためならヒロシマ、ナガサキの惨劇が他国で繰り返されても構わないという前提に立っているからだ。

 長崎の田上富久市長は9日の平和宣言で政府に対し、禁止条約に参加し、核兵器に依存する安全保障政策を見直すよう提言するという。人類無二の悲惨な体験をした被爆地として当然だろう。核を持たない多くの国々が望むのも、こうした主張に違いない。

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