【越山若水】「正直」という日本語は700年以上の古さを持っている、と故司馬遼太郎さんが著書に書いている。「仏のモト」という風に鎌倉期の宗教家が使っているからと▼江戸期に入ると商人や職人らの美徳として高められ、明治に「オネスティー」という英語が入ってきたとき、ぴったりの訳語として生かされたとの解説だった▼「信なくば立たず」という。民衆の信頼がなければ政治は成り立たない、と近年では小泉純一郎元首相が座右の銘とした。安倍晋三首相も昨年あたりは使っていた▼「正直」も「信」も心の持ちようは同じはずである。誠実に事に当たり、自分に非があったり何か疑いをかけられたりしたなら、事実を包み隠さずに説明する潔さが核心になる▼きのうは、そういう目で安倍首相の答弁を眺めた。これまでの強気な姿勢を封印し「疑念を持たれるのも、もっともだ」と認めた。率直だとは思う。だが何だか、もやもやする▼信じるに足る事実が示されないからである。加計学園の加計孝太郎理事長ら当事者が居合わせないのも、やはり主役を欠く舞台を見るようだった▼司馬さんによれば、いまの憲法によって「日本国は個々の自覚の総和の上に」成り立っている。個々が正直さを失えば国はたちまち壊れる。政治家だってそう。堅苦しい「信」のかみしもを脱ぎ、庶民の「正直」の輪に入ってほしい。
 

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