平泉寺四至のうち南東の境界「荒神石」と分かった巨岩=14日、福井県勝山市

場所の特定につながった近世の絵図。右端に「荒神岩(石)」と記されている

 中世に繁栄し、支配域が約4キロ四方に及んだという平泉寺(福井県勝山市)の南東側の寺域境界を示す「荒神石(こうじんいわ)」が、同市平泉寺町平泉寺にある高さ6メートルの巨岩であることが、14日までに市教委の文献調査で分かった。岩周辺はこれまでに坊院跡や中世の砂利敷き道も発見されており、改めて重要な場所であることが裏付けられた。市教委では「“南東の守護神”ともいえる岩が判明した。中世の平泉寺を知る上で大きな発見」と話している。

 中世平泉寺の支配域「四至内(ししない)」の境界を示す「四至(しいし)」は、北東の「虚空蔵(こくうぞう)」、北西の「比島観音(ひしまかんのん)」、南東の「荒神石」、南西の「禅師王子(ぜんじおうじ)」とされる。これまでに虚空蔵と比島観音の場所は特定されていたが、残る2カ所は不明だった。

 市教委が平泉寺区保存の絵図数点を調べたところ、近世の絵図(1750年)に荒神石が山際に記されていることを確認。地形的な特徴などを基に現地を調査し、荒田川に架かる橋のそばにある幅11メートル、高さ6メートルの巨岩を荒神石と断定した。

 地元ではこの橋を荒神石橋と呼んでおり、巨岩が荒神石ではないかとみる人もいた。ただ裏付ける史料がない上、付近の山頂にあるとも言われ、長年謎となっていた。

 岩の周辺は1999年に市教委が発掘調査を行い、坊院跡や城郭に特有の腰曲輪(くるわ)状の遺構などが多数見つかっている。市史蹟整備課の宝珍伸一郎学芸員は「発掘で確認された曲輪などの砦(とりで)は通常、このような平地には造られない。この岩の場所が重要であることを示している」と話している。

 中世平泉寺の様子が推測される絵図「中宮白山平泉寺境内絵図」(江戸期作)では、坊院がひしめく南谷の端に「荒神石」と記載されている。文書「賢聖院院領目録」(1539年)では、有力坊院である賢聖院が四至内の村に対し公文職や人足、裁判権、警察権にあたる権限を有していたことが記され、四至が重要な境界であることを表している。

 荒神石の場所を特定する決め手となった絵図は、15日から勝山城博物館で開かれる「白山のいざない」展で公開される。

■四至とは

 中世などの荘園や寺院の東西南北の境界を指し、「四至内」には支配権が直接及んだ。平泉寺では伽藍(がらん)が立ち並んだ境内を狭義の境内、四至内は広義の境内ともいわれる。

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