福井市のJR福井駅周辺(福井新聞社ヘリから撮影)

 前回の、朝日新聞福井総局の記者・影山さんとの記事、たくさんの反響があってとっても驚いています。

 正直、福井で感じる違和感を言葉にするのは、いい、悪い、両方の反響がありすぎて本当に毎回精神がすり減るんですが、そこから見えてくるものもたくさんあってとってもありがたいです!

 今回は皆様にせっかくたくさんのご意見をいただいたので、その紹介や私からのお返事を書こうと思います。

 まず、
 「福井では、車のクラクションの音を聞かない!?って、聞かないのが普通じゃない?
  クラクションは危険を知らせるためにならすもので、それ以外には使わないでしょ?」
 というご意見。
 間違いないです!

 ただ、信号待ちで青になったのに前の車が動かなかったりしたら、クラクション、鳴らしません?
 私なら3秒で鳴らします(笑)

 東京だったらもう1秒くらいでなってるときありますよね。せっかちすぎ!

 こんなコメントも寄せられました。

 「クラクションや方向指示器など運転マナーの話は、福井だけでなくて石川も同じ傾向があります。
  基本的に、みんな優しくてセッカチな人が居ないからだと思います(エスカレーターで片側に寄らないのも、そもそも急いで追い抜く人(必要性)があまり居ないから)
  都会だとウインカー出しても割り込ませてくれない場合が多いと思いますが、結構入れてくれますから。
  それに国道とか幹線道路を除いて片側2車線以上って少ないから車線変更することも少ない。
  そもそも交通量が少なくて、対向車・後続車が少なくて車間距離開き過ぎて周りに迷惑かからない・見られていない感覚が強いのだと思います。」

 別のこんなご意見もいただきました。

 「福井県民は、クラクションを鳴らしても、問題の解決にならないことを知っているからだ。
  クラクションを鳴らして問題の解決になる場合には、クラクションを鳴らす。
  前のクルマが信号待ちをしていて、信号が青になっても、前のクルマの運転者が下を見ていて信号が変わったことに気づかないときに、クラクションを鳴らす。
  下を向いていた運転者は、クラクションの音を聴いて、信号が変わったことに気づく。という按配だ。」

 さすがに福井県民も信号待ちで前の車が動かない時にはクラクションを鳴らす人もいますよね。
 ただ、福井以外だと、本当に意味のわからないところでクラクションをずっと鳴らしている人もたまに見かけます。
 そういう風に、イライラの感情からクラクションを鳴らす人はいない、ということみたいです。

 そして、このあとに、さらにご意見が続きます。

 「ここまで考えたところで、東京の子供の表現の豊かなことに思考が飛躍した。
 東京の子は、思っていることを、実に豊かに表現する。言葉であったり、表情であったり、体の動作であったり、衣服であったり、いろいろな表現手段で、思いのままに表現する。
 大野の子は、そういうことはしない。概ね、じいっとしている。せいぜい、大声を上げるくらいだ。」
 (ご意見を下さったのは、大野市生まれの方です。就職して一時、古里を離れ今は大野市で暮らしています)

 このご意見は本当に衝撃でした。

 このご意見の中には、雪国だからなのか、山の人間だからなのか、という部分もありました。

 私の出身は田舎の漁師町で、周囲からは、ものすごく感情表現が豊かで、気性が荒くて、ラテン系な人が多い地域と言われるような場所で生まれ育ちました。
 だから、東京に出てきた時、世の中にはなんとおとなしい人の多いことかと驚いたし、都会の子は感情表現が下手そうというイメージもありました。
 しかし、福井(大野)の方から見れば、東京の子供はとても感情表現が豊かに見えるようです。

 山って、古くは農業が中心だったので、安定して食料を得るためにはきちんと計画して作業を行わないといけないですよね。
 でも、漁業の町は、食べられなくなったら海に出ればよかったんです。
 だから、結構行き当たりばったりで、楽観的な人が多いように感じます。
 そして雪国でなければ、冬でも、外に出ることができないといったことがありません。
 雪国、山の方の人間の方が、真面目で我慢強いというのはイメージとしてありますよね。
 福井にも海沿いのまちは沢山あるので一概には言えませんが。

 気候、環境が人間の性格まで左右することはきっと当然のことなのかもしれませんね。

 そう考えると、都会の人間が我慢をせずに感情を豊かに表現するという意見にも納得できるかも。
 だって都会にはある程度なんでもあって、声をあげればすぐに手に入るのだから。

 こういったことを掘り下げていくと、社長輩出率や学力が全国で上位である理由ももっと見えてくるのかもしれませんね。

 また、クラクションだけでなく、「自転車のベル」を例に挙げたご意見もいただきました。

 「福井から都会へ行くと、歩いていて、後ろから自転車にベルをならされて不愉快な思いをすることがある。
  都会の人は、どういうつもりで、ベルをならしているの?」

 これ、本当にあるあるですよね。
 めちゃイラです!
 横に十分な隙間が空いていれば、意地でもどきたくなくなるやつですね(笑)

 教習所に行って初めて知ったんですが、自転車のベルもクラクションと同じで、危険があるときにしか鳴らしてはいけないから、歩行者に対して「邪魔」という意味で鳴らしてはいけないんですよね。

 ただ、「どういうつもりで鳴らしているの?」と問われると、「危険だから」とも答えることができます。
 最近は歩きスマホしている人も多いし、ふらふら歩いていたり、急に立ち止まる人もかなりいます。
 特に都会では、人が多い中でも地図を見ながら歩いている人がかなり多いので、歩行者対歩行者でも危険だったりイラっとすることは多いです。

 そんな場所を自転車で走っていると、いつ歩行者が予想外の動きをするかわからないので、この人危ないなと思ったら自分の存在を知らせるために鳴らす(結局は自分が通るぞと主張している)、というパターンはかなり多いと思います。
 本当はその時は、自転車側が降りて安全を確保しなきゃいけないんですけどね。

 今回いただいた、いろいろな意見を読んだ、ゆるパブリックの別のメンバーからは、

 「都会では、まちですれちがう他人との間には直接的な言葉やジャスチャーでのコミュニケーションが控えられて、
  代わりにベルやクラクションなど明確にシグナル化されたものが使われる。
  一方で、田舎ではそれはむしろちょっと冷たいというか失礼で、用があるなら直接関わりを働きかける。
  これが、ものすごく大きな常識や価値観の違いになっていると感じました。」

 といった感想も寄せられました。

 ゆるパブコラムには答えはありません。
 でも、こういう不思議や疑問をお互いに何気なくぶつけてみることで、わかることがあるんじゃないかなと思って毎回書かせてもらっています。

 ご意見ありましたら、またお気軽にお寄せください!
 福井の皆さんと、ゆるパブコラムを作っていきたいです。(ゆるパブメンバー、しおりんこと江戸しおり)

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 福井の若者や学生、公務員、起業家、経営者、研究者などがゆるくつながり活動する一般社団法人ゆるパブリック(略称:ゆるパブ、2015年福井に設立)が、さまざまな視点から福井のまちの「パブリック」に迫ります。2016年3月まで鯖江市に「ゆるい移住」していた江戸しおりさんを中心に執筆中。

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