由利公正像

松木庄左衛門像

梅田雲浜像

「コシヒカリの父」石墨慶一郎像

「繊維王国の母」細井順子像

銀河鉄道999のブロンズ像

福井県内の主な銅像・石像一覧(幕末・維新期以前)

 戦国武将や文化人、会社の創業者…。金ピカの立像や味わい深い緑色の胸像など、一度は目にしたことがあるはず。偉人らに「いつでも会える」銅像は、文献だけではうかがえない人となりとともに歴史への想像をかき立ててくれる。先人たちは銅像に姿を変え、いつも福井県民、地域を見守っている。

 西洋では古くから、国王らの銅像を造る伝統があったが、日本で造られ始めたのは、鎖国が終わった明治期以降。第2次世界大戦では金属を兵器に転用するため、銅像にとって“受難の時代”が到来したため、消えてしまったものもあるとみられる。県立図書館によると、屋外に設置され、福井にゆかりのある幕末・明治維新期までの先人の銅像(石像を含む)は福井県内に35体。このほか、学校の創立者や企業の創業者、地域貢献者らの銅像があるが、数は定かでない。

 「銅像には功績を後世に伝えて、地域の人に守り継いでほしいとの思いが詰まっている」と話すのは、県立図書館の渡辺力主任。戦前は天皇に忠誠を誓った人物や明治維新の貢献者が多く造られた。戦後になると、地域に貢献した人や文化人らにも広がっていった。

 渡辺主任の調査では、銅像になった先人を幕末・明治維新期までに区切ると、勝山、坂井両市と永平寺、池田、南越前、美浜の各町は「銅像空白地」。残りの市町では確認できており、ライオンズクラブやロータリークラブ、顕彰会が設置しているケースが多いという。

 福井県内には誰の銅像が建っているのか。福井市の足羽山の「継体天皇像」(石像)が最も古く、建立は1884年。1948年の福井地震で倒壊したが、震災復興の目的もあって復活した。

 福井が誇る彫刻家らの作品もある。柴田神社(福井市)の柴田勝家像(建立1967年)、小浜市中央公園の梅田雲浜像(同65年)は福井市生まれの彫刻家・故雨田光平氏作。自らの命と引き換えに幼児の命を救った江戸時代の女性「綱女(つなじょ)」像(小浜市西津小、同42年、石像)は、若狭町生まれの彫刻家・故松木庄吉氏の作品だ。福井市の幸橋南詰に建つ由利公正像と若狭町松木神社の松木庄左衛門像は、元春江工高校長の故末本虎男氏が制作した。

 一方で、意外な事実もある。戦国大名朝倉氏の銅像は1体もない。朝倉氏遺跡保存協会の岸田清会長は「10数年前に銅像を造りたいとの提案があった。遺跡全体が国の特別史跡で、遺跡には銅像は似合わないとの理由で断った」と明かす。「今後も建てる予定はない」。

 銅像は公衆の目に触れることを目的に造られている。渡辺主任は「銅像は、ゆかりの場所に建っているので、歴史や自然を感じながら楽しんで」とアドバイスをくれた。

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