全国各地の神社で古い砲弾の“発見”が相次ぎ、爆発への懸念から陸上自衛隊による回収騒動も起きている。なぜ、古い砲弾が次々と“発見”されるのか―。

 ■神社に残る砲弾を調査している千葉市の帰山則之さん(65)=福井県越前市出身=の話

 日清・日露戦争の戦利品として奉納されたり、忠魂碑建立の際に陸海軍から廃棄処分された兵器が無償で払い下げられたものが多い。下付された砲弾は陸軍だけでも、日清講和条約後に約8700個、日露戦争直後には「戦利兵器奉納ノ記」という書状とともに約2万3千カ所の神社、仏閣、学校などに配布した記録が残る。ロシアの植民地にされないため、日本が一丸となり勝利した安心感と喜びを、国民全員で共有しようと配布したものだ。民間との親密なつながりが目的なのだから、危険なものを渡したとは考えにくい。

 さらに海軍からのものや、その後の皇室の御大典や御成婚記念、忠魂碑建立などでも砲弾の下げ渡しは続き、全ての神社にあってもおかしくないほどの数が配布された。

 今はほとんど姿を消したが、主な理由は第2次世界大戦での金属類回収令だ。敗戦による占領軍の命令などで処分した例も多い。

 最近、各地で“発見”されたというニュースが相次いでいるが、以前からあるにもかかわらず、当時の由来や存在が忘れ去られたからだろう。危険ならば撤去すべきだが、安全が確認されれば、100年以上もの間、先人の思いを伝えてきた貴重な遺産として保存すべきだと考える。

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