幻に終わった「福井市街地電車線計画」の概略図

■三国港再興へ創立「加越電気鉄道

 1897年12月、北陸本線福井~小松間の開通で物資輸送の流れが鉄道へと転換した結果、三国港は衰退した。この再興のため、三国地域の有志が中心となって、三国港と福井市・春江町・勝山・大野方面とをレールで直結することを目論み、1919(大正8)年12月に加越電気鉄道が創立された。
 
 その計画線は、三国~布施田~春江~西藤島~西福井を結ぶ第1期線と、三国~芦原温泉~吉崎御坊~大聖寺を結ぶ第2期線からなる壮大なものであった。もし計画通り実現していたら、福井から吉崎御坊や大聖寺まで電車で行けたことになる。

■グルリと循環「福井市街地電車線計画」

 あまり知られていないが、実はその中に福井市内をグルリと循環する路面電車方式の「福井市街電車線」が計画されていたのだ。

 今の地図に当てはめた概略でいうと、呉服町の北側入口(当時の住所で春山上町)を基点に、勝山街道を東進し、松本郵便局辺りで南へ進路を変え、大手1丁目~福井駅前へ。ここから福井西武前通りを経て九十九橋付近へ到達。そこから、さらに北進し呉服町(旧芦原街道)を通り抜けて基点に戻るというもので、いずれも当時の道路上にレールを敷き、路面電車を走らせるいう計画だった。
 
 結局、当時の鉄道省からも正式に鉄道敷設免許を交付されていたものの、同時期に経済不況に見舞われ資金が調達できず、計画は残念ながらとん挫してしまった。
 

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