三里濱鉄道の原図

■陸の孤島に計画された謎の鉄道

 時は、昭和の初め。坂井平野には三国芦原電気鉄道(福井-西長田-三国)、丸岡鉄道(本丸岡-丸岡(省線=現JR)―西長田)、官営鉄道・三国支線(三国港-金津=現・JR芦原温泉)、永平寺鉄道(金津-本丸岡-永平寺)の4つの鉄道が走り、芦原-吉崎(吉崎鉄道)や西長田-布施田(三国芦原電気鉄道)でも鉄道敷設が免許され、まさに鉄道王国の様を呈していました。

 しかし、川西から鷹巣にかけての海岸部地域は孤島のように取り残されてしまいました。そこで、三国から鷹巣近隣地区への物資輸送と、鷹巣地区の農林水産物を市街地へ輸送する流通の要として、昭和5年に起案されたのが三里濱鉄道です。

 三里濱鉄道は、県史や市町村史に時々名前が登場していましたが、事実を確認する文献が乏しく、謎の鉄道といわれていました。そんな中、東京の国立公文書館で詳査をしたところ、鉄道敷設申請のための測量平面図を発見、また、三国龍翔館にも「三里濱鉄道株式会社鉄道敷設免許申請書」の原本が所蔵されていることが判明し、この図面と文献からその全容が解明されました。

■幻の鉄道計画、その全容は・・・

 まず、昭和5年に、北前船で財をなした九頭龍川河口の新保村の豪商が中心となって鉄道敷設申請書が提出されました。が…鉄道省は利益を生む見込みなし!と判断、昭和6年6月2日付で却下されてきてしまいました。

 しかし、有志たちは鉄道敷設への夢を断ち切れず、同年8月に、再度申請をしようと思案しますが、発起人たちの思いがまとまらず、ついに地図に引かれた鉄道線実現の夢は消えてしまったのでした。