防空壕の中を見学する参加者=11日、福井県美浜町

 福井県美浜町佐田の戦争遺産に触れてもらおうと、地元有志でつくる佐田伝統文化保存会は11日、区内に残されている防空壕(ぼうくうごう)跡の見学会を開いた。満州からの過酷な引き揚げを経験した地元の姉妹からも話を聞き、町内外から訪れた40人は戦争の悲惨さをあらためて認識していた。

 地元の歴史を学ぶことを目的に初めて企画した。防空壕は2カ所を見学し、このうち加賀山千代子さん(86)の家の敷地内にある防空壕は、太平洋戦争が始まった1941年に造られた。コンクリート造りで階段を降りると、高さ約1・8メートル、6畳ほどのスペースがある。戦後も取り壊さず、そのままの状態で保存されている。

 同区は空襲はなく防空壕に逃げることはなかったものの、45年の敦賀空襲を振り返り加賀山さんは「敦賀方面が赤く燃えているのを覚えている」と話した。防空壕の中に入った参加者は「すごく暗くて狭い。実際、避難したら不安になる」と感想を漏らしていた。

 佐田公民館では、地元の田邉麗子さん(80)と熊崎正子さん(75)姉妹が、同保存会の金田久璋顧問との対談で、引き揚げの苦労を話した。

 姉妹の父は1941年に南満州鉄道の社員として満州に移住。2人は終戦までの4年間を満州の牡丹江市(ぼたんこうし)で過ごした。父は出兵し戦死した。

 姉妹は日本が戦争に負けたとき、土足で乗り込んできた当時のソ連兵に機関銃を向けられたことを振り返り、「とても恐ろしかった。逃げるとき家の周りは火の海だった」と話した。

 母は姉妹を含め4人の子供と逃げ、ひもで縛って離れないようにしていた。途中、「ここで死んだら楽になる」と言った母の言葉が忘れられないとし、熊崎さんは「母はあきらめずに私たちを日本まで連れて帰ってきてくれた」と感謝の念を述べた。参加した同町佐田の津田利雄さん(74)は「戦争は絶対にすべきでないと改めて感じた」と話していた。

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