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福井市 1943年生まれ いずみ保育園(福井市)主任保育士 教師職を経て、寺と寺が開設した保育園とのご縁から、今日までその仕事に従事。

 5月に入ってから、一枚一枚筍の皮を剥ぐように、夜具や衣類を剥いでいった夏の日を思わせるような日があったかと思えば、梅雨を迎えようとしている今、外より温度が幾分低めの我が家では、ストーブを付けたくなる日もあったりと、体が付いていくのに大変な日が続いております。

◆筍掘り


 「実家の筍掘りに行きませんか? 今年は不作の年だから、あまり筍が出ていないけれども、それでも雨が降った後には少しは出ると思うから」と母方の従妹からメールが届いたのは、筍のシーズンも終わり掛けの5月の半ばをかなり過ぎてのことでした。


 雨が降るのを待っているともう時期も時期、いつ行けるかわからないので、雨を待たずに互いの都合の良い日を選んで出かけました。イノシシが出るから気をつけてと、入院中のその実家の主からの伝言も在りましので、用心の為に知り合いの男の人にも来てもらっての筍掘りでした。家の裏山を少し上ると直ぐ竹藪ですが、不作の年でもあり、時期も遅かったこともあってか筍掘りには疎い私たちにはそう簡単には見つけることは出来ません。今では山を手入れする人もなく、倒れた太い竹に阻まれてそう思うようにも進めません。

 

 疲れて腰を下ろして休んでいると竹におおわれていてあまり日の差さない静かな竹藪に、時折、カーン、カーンとあたりの静けさを割くように伝わってくる音があるのです。それはとても澄んでいて不思議と心地良い音として響いてくるのです。「あれは何の音?竹でもはじける音?」この家で育った従妹に聞くと「そう。子どもの頃からよく聞いてきているから」「誰かがそう言っていた?」「誰にも聞いたことはないが、そうだと小さい時から思ってきたから」との答えです。

 

 はじける音とはいえ、竹から出る音は何と心地よく耳に響くことでしょう。その音とともに、辺り一帯に微かに漂う懐かしい香りと温かさに、何か包まれているような思いがするのです。 ‘なんて気持ちがいいの!’と思わずつぶやくと、‘竹藪はマイナスイオンが出ているから’とまた従妹が答えるのです。その従妹の言葉がどこまで確かなのかはわかりません。しかし、その言葉のままを合点して、筍探しも忘れて久しぶりの竹藪の心地よさに浸っていました。

 

 屋敷の裏山のこの一帯は昔から私たちのなじみの場所でもあります。あえて口には出ずとも、筍掘りというよりも、それに先立ちその屋敷や裏山が気がかりでもあって、こうしてここに来ているのです。


 それでも 50センチほどにツーンと伸びた筍を2~3本見つけ、ないよりましと途中で折って持って帰りました。根っこの方を少しかじってみると以外に柔らかかったのです。山から下りての途中の気になっていた庭の方にも廻ってみると、水が湧く、湿った日の差さない庭には手入れがされていないからなのでしょうか、野ぶきでしょうか、ふきや、三つ葉や、大葉ギボウシが辺り一面に生えているのです。

 

 亡くなった従兄の奥さんが植え付けたという谷ぶきや、わさびも今年は広がって生えています。こうして久しぶりにこの庭に立っていると、夏休みにしか来れなかった、まだ小学生だった時代、亡くなった伯父は、降りしきるセミの鳴き声のするこの庭に座ってよく草むしりをしていたのでした。この家では庭に生えているそうしたふきなどの山草を食べる習慣はあまりなかったようで、従妹は山菜というよりも野草としての生え放題の現在の庭の在りようの方が気になるようで、しきりに草刈りのことに気を取られているようでした。生まれた家なのだからでしょう。そんな従妹の気持ちが手に取るように伝わってくるのです。

 私にとっても、今ではもう亡くなっていて誰もいない懐かしい人たちとのたくさんの思い出がいっぱい詰まっているこの家や屋敷です。この先一体どうなるのでしょう。

 こうした現象は、ここだけの問題ではなく、こうした家や屋敷を支える力になる人は少なくなる一方です。子どもの少ない先細りの今の日本、何処へ行っても目の当たりにする現実なのです。

 

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