堤防に沿って植えられている桜並木を、時間があるときにはよく子どもたちと散歩します。

その散歩道からは、ついこの間までは、一面黄金色に輝く麦畑が見渡せました。その黄金色に輝く麦畑の向こう側を次々と走ってくる車の下方が麦畑で隠されて見えないので、こちらから見ると、まるで黄金のじゅうたんを音もなく車の上体だけが滑るように動いているように見え、それが何か不思議な光景に思え、しばし足を止めて見とれていたのでした。その麦がお米のこがね色に変わり、そして今は見渡す限りの白いそばの花のじゅうたんです。

もう、すっかり秋。あちらこちらに秋が感じられる季節になりました。

保育園の職員玄関への道のり、毎朝、胡桃が3つ、4つと木から落ちて、転がっていて、その胡桃を拾うなかにも季節を間近に感じるのです。

さて、お子さんと、この爽やかな季節を毎日どのようにすごされていますか?子どもの世話は毎日がとても大変だとこぼされる親御さんも私の周りにはたくさんおられます。

ましてお休みが続くと、頭が痛くなる、早く保育園に行ってほしいと心から訴えるように言われる方もおられます。そんな方の気持ちもよくわかります。お子さんと付き合うことは、楽しい面もたくさんありますが、大変な面もたくさんありますね。小さい子は、私たち大人には想像できないことをいろいろ・・・・・しでかしてくれます。私も孫と暮らしていて実感する毎日です。

先日も、お花をバケツにつけておいて、さあ生けようとおもって、バケツの水を見ると、糠交じりの乳白色。これは一体なんだ???

バケツに手を入れてさぐってみるとその中には、既に解けて芯までクニャ、クニャに柔らかくなってしまった石鹸が・・・。誰だ??   

読めました。糠床の世話をする私の様子を一部始終、毎回実に興味深げに見ていた彼らのことです。私の目を盗んで糠床に手を入れて、糠床の匂いを消すために石鹸を使うことまで真似て、その手を石鹸で洗って・・・・。ム、ム、ム、ム、ム。

あるときには、たくさんみかんを送っていただいて、子どもの手の届かない高いところに上げておいたのですが、掃除のためにそこにあがってみると、箱の中はすでに空っぽ !!

その横に、子どもたちによって破られた障子を張ろうと思って買っておいた長い障子紙の筒をちょっと動かすと、筒の中から出てくるわ、出てくるわみかんの皮が・・・。ム、ム、ム、ム、ム。

すぐに雷を落としたい気持ち。私も若いときからこんな気持ちこれまでどれだけ体験してきたことでしょう。

最近つくづく思います。無駄には年はとらないことを。若いときとは違って、自然に自分をコントロールができるようになってきているのです。また保育士として、こうした子どもとの関わりをどうしたらよいのか、たくさんの研修会で学ばせてきていただいてもいます。それでも、それでも、人間ですね。

そんなとき、こうした学びのエッセンスとして、いくつかの呪文が思い浮かびます。そのうちの一つ、今の私にとっての課題でもある呪文を唱えます。

「子どもを〈状況を〉在りのままに受け入れる」すると、少し冷静になれます。冷静になったなかで、心を無にして、そのことの本質との出会いを待つのです。物事の本質との出会いのなかで正しい判断に出会えるのです。

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