初詣とかバレンタインとか花見とか、「季節のことば」をひとつずつ掲げて、それについてのあれやこれやを積み重ねたエッセイ集である。かといって「もっと季節感を愛でましょう」とか「もっと1日1日を豊かに大切に」的なたぐいの啓発本ではない。大人になるまで初詣という習慣がなかったという著者は、それでも(というか、だからこそ)今は欠かさない初詣の逐一や、正月モードから通常モードに至るまでのグラデーションなんかを、新鮮かつ簡潔に伝えてくれる。率直な実感に根ざして言葉が紡がれているから、書き手の眼差しや息遣いをつぶさにキャッチすることができる。

 季節のそこここに登場する、少女時代の書き手自身が何とも愛おしい。なんというか、どことなく「イケてない」のである。中学の卒業式の時点で進学先が決まっておらず、やけくそな気持ちでドッジボールに熱中。ケーキやお肉より、実はじゃがいもが好き。大人になってからの彼女だってそうだ。朝起きたら、体があたたまるまではストーブのそばから離れない。4月の晴れやかさが苦手なわりに、春の惰眠をむさぼるのが大好き。そして読み進めるうちにじわじわと気付かされる。彼女の日々は、ただ「イケてない」だけじゃないと。過ぎゆく季節を遠く見送るのではなく、これはこれでそれなりに、季節に思いを重ね(ようとし)ながら暮らしていることがわかってくる。窓の外の猫の鳴き声に耳を傾け、季節のものをどう食べようか思案する。花が咲いたとなればひとまず見に行き、不意に七夕の折り紙飾りを折りたくなってしまって百均へ走る。自作のドライカレーの出来に首をかしげ、新米の味に目を細め、おでんにうどんを投入して喜ぶ。背伸びのないエピソードがいくつも噴出して、子供の頃から今に至るまで、自分が何が好きでどう生きてきたか、噛み締めなおすみたいにしてこの本は紡がれている。

 それにしても、である。清冽な歳時記エッセイは、全部で70本を超える。それだけかけて、彼女は1年間の季節のうつりかわりをつづりまくる。そういえば私たちも、同じ日々を、生きてきた年の数だけ、繰り返しているのだ。そのことの妙を思う。どこで何をしていようと、季節は誰の身にも等しく降り注ぐ。誰かがそれを言葉にして、別の誰かがうんうんとうなずきながら読む。そうして世界のバランスが保たれて、また明日がやってくる。そんな幸福な循環が、きっと今日もどこかで起きているのだ。

(平凡社 1500円+税)=小川志津子

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