五輪塔の解体作業中に見つかった太田資武のものとみられる骨壺=16日、福井市徳尾町の禅林寺

五輪塔から発見された骨壺。中には骨らしきものが入っている

 江戸城を築城した室町時代後期の武将、太田道灌(どうかん)のやしゃごで、初代福井藩主の結城秀康に仕えた藩士、太田資武(すけたけ)(1570~1643年)の骨壺が16日、福井市徳尾町の禅林寺の境内にある五輪塔の中から見つかった。壺の保存状態は良く、中には骨とみられる白い破片が入っている。関係者は「400年の時を経て、まさか骨壺が見つかるとは」と驚いている。

 県内の石造物に詳しい日本考古学協会員の古川登さん(58)=福井市=は「五輪塔の下の地中に骨壺を埋めるのが一般的だが、五輪塔内部に入れるのは珍しい。県内では近世の墓の調査は進んでおらず、埋葬のあり方を知る貴重な手がかりになる」としている。

 資武はさいたま市の岩付城を本拠とした岩付太田氏の流れをくみ、父資正(すけまさ)と共に、北条氏と関東各地で戦った。それらの功績が結城秀康に認められ、秀康の下で軍の奉行に任じられた。

 高さ3・7メートルの五輪塔には、資武の戒名「霊顔道鷲庵主」や、没年などが彫られている。戒名は太田氏の系図の中にも書かれており、埼玉県立文書館の学芸員、新井浩文さん(54)は「資武の墓で間違いない」としている。

 この五輪塔が傾いてきたため、修復作業として業者が石を移動させ、解体しているときに壺を発見。石と石の接着面のくぼみに、はめ込まれるような形で保存されていた。

 壺は高さ15センチ、艶がある茶色の焼き物で、上部は細くなっており、両側に取っ手のようなものがついている。中には、骨を細かく砕いたような白っぽい破片がぎっしり詰まっている。

 新井さんは「立派な五輪塔の中で、立派な骨壺に納められた資武は、この地で手厚い待遇を受けていたのだろう」と推測。禅林寺の諏訪大明住職(67)は「資武のお墓ということは分かっていたが、まさかこんなにきれいな状態で骨壺が見つかるとは」と話していた。

 骨壺は五輪塔の石を積み直す際に、元の場所に納められる。

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