スパルタだったという、森昌子さんの子育てとは…

 「あんたは鬼のような母親だ」

 自分の母親にそう言われたことがあるという、歌手の森昌子さん。

 昨今、フジテレビ系「ダウンタウンなう」やTBS系「サワコの朝」で放送された"森昌子流スパルタ子育て"が話題になり、『母親力』を刊行した森昌子さんのこれまでの半生と、独創的な子育て法についてお聞きしました。

 ■物心がつく3歳まで

 「よき母」になることが、子どもの頃からの私の夢でした。

 13歳で芸能界デビューしましたが、27歳で結婚するときに芸能界を引退。周りの反対を押し切って専業主婦に“転身”しました。

 それから3人の息子を産み、育てました。わが家では18歳になったら、強制的に独立させるのが流儀。3兄弟はみな、そうしました。それぞれ中学3年生の終わりくらいになると、3年後の独立に向け、心の準備をするように“お達し”するのです。

 私、森昌子を知る世間のみなさまは、「おっとりしている」「やさしそう」という印象を抱かれているようです。とてもありがたいことで、確かにそういう一面を持ち合わせているかもしれませんが、子育てに関しては「スパルタ」だったと思います。

 物心がつく3歳までは、長男を「1番」、次男を「2番」、三男を「3番」と番号で呼び、兄弟同士でも年上の兄には敬語を使わせます。 大きくなってからは門限を設け、それを破ったら絶対に家の中には入れません。

 1歳を過ぎたばかりの息子を正座させてコンコンとお説教をしたり、右手に輪ゴムをはめてはしの持ち方を矯正したり、さらには左利きになりそうだと気づくと、ひもで左腕をいすに縛りつけて右利きに矯正したり。

 ちょっと厳しい子育てだったかもしれませんが、もちろんそれは愛情があってのこと。やみくもに厳しかったわけではありません。母親に依存せず、年上を敬い、自分のことは自分でするなど、息子を「メシが食える男」にしたい。それに必要になる力を幼いうちから身に付けさせ、18歳になったら強制的に家を出して自立するよう、育ててきたのです。

 3兄弟が将来、それぞれ大黒柱になり、長い人生でなんらかの壁にぶつかったとき、いろんな考え方をもって対処できるようにしたかったのです。

 息子たちは3人とも独立して、ありがたいことにそれぞれ自分のやりたいことに携わって収入を得ることができています。

 長男はONE OK ROCKというバンドのボーカル、次男は会社員、三男はMY FIRST STORYというバンドのボーカルで、身を立てています。

 息子3人はまだ20代で、成長過程といってもいい段階にあります。独立したとはいえ、親は一生親で、わが子は一生わが子です。その親の私が最期を迎えるまで、もしかしたら息子たちが最期を迎えるまで、子育ての答えは出ないし、成否もわかりませんが、今までのところは、なんとかやってきたのではないかと思います。

 ジジババ育ちは三文安──本当は「年寄りっ子は三文安」という言い伝えらしいのですが、私が生まれ育った地域ではそう言い伝えられていました。祖父母に甘やかされて育った子は、わがままで我慢がなく、自分のことが自分でできない。だから普通の子より値打ちが低いという意味です。

 私自身、母親が病弱だったこともあり、幼い頃は祖父と祖母に育てられました。昔ならもうその時点で、三文安です。実際、祖父母をはじめ、周りの大人にたいそう甘やかされて育ったせいか、私は極端に引っ込み思案で人見知りの子どもでした。

 また、私はひとりっ子だったせいか、甘やかされて育った自覚もあります。私がやってきた子育てはまったくの我流ですが、わが子にはそうなってほしくないという反面教師のようなスタイルで臨んだ育児だったのです。

 ■一度自分の頭で考えさせる

 これまでの子育てで重視してきたことは、一度自分の頭で考えさせるということでした。3歳以降はとことん言葉で言い聞かせたり、話し合ったり、親の姿勢を態度で示すようにしました。

 小学生に上がる頃になると、なにか不満があったり疑問があったり、自分が反省すべきなのかどうなのか迷ったときには、息子たちとこんなふうに話し合いをしたものです。

 「なにかママに言いたいことがある?」

 「ありません」

 「早く終わらせたいからそう言ってるんでしょ」

 「あのときは、ああするのがよかったのかなとボクは思ったんですけど……」

 「でも、それはどっちかな。自分で考えて答えが見つかったら、もう一度ママのところにもってきてごらん」

 「わかりました」

 

 私は、その場ですぐに結論を出さないよう心掛けていました。「そうだよ、それで合ってるよ」と答えを言ってしまうと、そこで思考がストップしてしまいます。子どもには考える時間を与えて、自分の頭で考える力をもたせる。それが普段の会話の習慣になっていました。

 やがて中学生になると、

 「ちょっと待って母さん。あのときはああしたけれど、最初にボクがこれこれこう言い出したのがいけなかったのかもしれない。じゃあやっぱりボクが謝るべきなんだよね」

 そんなふうに自分の行動を見つめ直すようになっていきました。私のほうから、ああじゃないこうじゃないといっても、自分が納得していないかぎり、心から反省することはできません。もし、子ども同士でケンカやトラブルがあったときも、その子に対して素直に謝ることができないでしょう。こうしたこともまた、石があってもどかさずに転ばせる母親の務めだと思っていたのです。

 ■他人の子にも厳しく 

 小学校のときのお誕生日会でも、こんなことがありました。子どもたちはお誕生日になると家にお友だちを呼んで、ごちそうを食べるという習慣がありました。もちろん、うちの子もです。

 「ただいま!」「おじゃましまーす!」

 と友だちがバタバタと玄関から入ってきます。私は部屋に直行しようとする子どもたちに向かって、

 「ちょっと待て! 靴をそろえなさい!」

 と指導しました。

 「はっ?」

 という顔をしながら子どもたちが靴をそろえると、

 「よし、じゃあ次は手を洗って」

 と私。

 ぞろぞろと洗面所にいって、みんなが手を洗ったところで、お誕生日会の開幕となりました。そのお子さんたちが家に帰ってお母さんに事の次第を話したのでしょう。父兄会で会ったお母さんたちからは、

 「本当にありがとうございました」
 「何度言っても聞かなかった子が、森ママに言われてから、玄関で靴をそろえて、手を洗うようになりました」

 そんなふうにお礼を言われたのです。このときばかりは、

 「これは間違いなく祖母の私に対するしつけのおかげだ」

 と思い至りました。

 祖母は自分が私の母親代わりにならなければいけないと、つねに思っていたのでしょう。土間から上がるときに必ず、

 「まー(私の呼び名、昌子の「ま」)、靴そろえたか?」

 と必ず言っていました。

 「うん、そろえたー」

 私はそのたびに靴をそろえて答えていました。そういう子どもの頃の記憶がどこかに残っていると感じました。思えば、ひと昔前は自分の家の子もよその家の子もなく、悪いことは悪いとしかってくれるこわい大人が普通にいたような気がします。幼い子どもたちにとって、私も間違いなく、こわい大人のひとりだったと思います。

 ■18歳になったら家を出す

 かわいい子には旅をさせよ──昔の人の教えというものは、本当に間違いがないと思います。わが子が18歳になるまでは、親が教育やしつけをする。相談されたら答え探しを手伝い、悩んでいたらどうしたのかと声をかける。

 でも18歳を超えたら、もうひとりの社会人。大人として独り立ちしなければならない。昔はそんな考え方だったと思います。冒頭でも申し上げましたとおり、私も昔の人の教えに従って、18歳まではしっかり面倒を見て、それ以降は独立させようと思っていました。

 急に思いついたわけではありません。息子たちが生まれた瞬間から、将来は絶対にそうしようと決めていました。

 「18歳になったら家を出す、18になったら出す」

 と心の中で呪文のように唱えながら、乳母車を押していたものです。息子たちが中学の終わりくらいになると、私は必ずこう言い渡しました。

 「さあ、もうすぐ高校生になります! 18歳になったら家を出て自活してください。あと3年ですよー」

 家賃や光熱費、学費の面倒は私が見るので、それ以外の生活費やお小遣いはアルバイトで稼ぐよう申し伝えました。そうすると、子どもたちは期限つきの3年間をバタバタしながら過ごし、あれこれ考えるようになります。

 長男と三男は歌手の道へと進み、次男は大学に通いながら、コンビニや家庭教師のアルバイトをして自活をしていました。

 独り立ちするために必要なことは、いいことも悪いことも全部教えてきました。母親のめそめそした情けない姿もずいぶんと見せました。

 だから、ここからはひとりでメシが食える男になっていってほしい。強く生きていってほしいという願望が私の中にあったのです。

 最近では子離れできない親御さんが多いと聞きます。入社式に付き添う親御さんもいると聞くと驚きます。人それぞれいろんなご家庭があるので、それはそれで否定はしません。でも、私はとにかく3人の息子たちに将来、一家の大黒柱になって自分の子どもたちに必要なことを教え、いい家庭を築いてほしいと思って育ててきました。0歳の頃からそんな思いで3人の息子を育ててきたのです。

 私が無意識に参考にしてきたのは、祖母の教え、昔の人が残した教訓であり、エネルギーとなったのは、気恥ずかしい言葉ですが、息子たちへの無償の愛、ただそれだけのような気がしています。

 私、森昌子は歌手を生業にしておりますが、自分の一生を懸けた仕事は子育てです。

 私なりの熱い思いが、みなさまのお役に立てることを祈っております。(森昌子:演歌歌手、女優)

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