「死を敗北とする医療は考え直すべき」と話す石飛幸三医師=2016年12月、東京都内

 老衰を受け入れ、延命措置をしない医療の在り方を提示する「『平穏死』を受け入れるレッスン」の著者で、東京都世田谷区立特別養護老人ホームの医師、石飛幸三さん(81)に、高齢化に伴う多死社会における医療の役割について聞いた。石飛さんは「死を敗北とする医療は考え直す時期に来ている」と述べた。

 —老衰を受け入れるとは。

 「老衰は自然の摂理。科学で対抗しても意味がない。亡くなる人は看取る人に『死とはこういうもの』と教えてくれている。命のバトンをつないでいることを尊重すべきだ」

 —元々外科医で、延命治療を実践してきた立場ではないのか。

 「多いときで年間500件以上、手術してきた。周りからは『(石飛さんは)風邪すら手術で治す』と言われた。当時の私は延命治療の権化で、死は敗北だった。私を含めこれまでの医療は、人間を生物学的な生命体としてのみとらえてきた。でも施設に来て考えが変わった。老衰を受け入れ積極的な治療をしない入居者たちは、みんな眠るように死んでいった。まさに平穏死だ。外科医のときは病気をみていたけど、ここでは人間をみている感覚だ」

 —医療放棄ではないのか。

 「多死社会を迎え、死について本音で考えるべきだ。私を含め誰でも楽に死にたい。あなただってそうだろう。ある入居者は、私にこっそり『(毒を)一服盛ってくれ』と言ってきた。本音の言葉だ」

 「最近、1カ月使うと数百万円かかる新型がん治療薬が開発された。医療保険というシステムが通用しない時代が到来している」

 —日本はまだ延命至上主義と言える。なぜか。

 「多くの医師は今でも『積極的な治療をしないと、不作為の殺人とみなされるのでは』という不安を持っている。でもこれだけ高齢者が増えた。死とどう向きあうか、医師だけでなく市民も踏み込んで考える必要がある」

 —死の話はなるべく避けたいが。

 「戦後、人は病院で亡くなるようになった。死なせないための治療で、肉体には苦痛が伴った。当然ながら人は死を敬遠しがちになった。しかし昔の高齢者は、障子一枚隔てた部屋で、家族の気配を感じながら静かに息を引き取った。人々の暮らしと死は身近だった」

 「高齢者の多くは認知症になる。つまり自己判断ができないということ。元気なころから、死について家族と話し合っておくことは重要」

 —300人を看取ってきた経験から、死とは何か。

 「死は全然怖くない。生き物として自然な最期を迎えれば、苦しまずに眠って眠って夢見心地の中で命を閉じる。老いは安らかに死ぬための、自然界からのギフトではないかとすら思う」

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