助産院では、これまでのたくさんの経験からか子どもは生まれる日を家族の都合に合わせて生まれてくれていると言われるのです。ですから、家族がどうしてもこの日に生まれてほしい日とか、反対に生まれてほしくない日がありませんかと聞いてくださいました。しかし、私は子どもには生まれてくるにもっともふさわしい日があるように思え、いつでも生まれたい日に生まれてきてくれればよいですとお答えしました。

また、現代の出産は少子化時代ということもあって、病室や出される食事のサービス面は華やかさが付け加えられるようになってきていることも聞いています。しかし、現実には産婦人科医の減少というも現象も起きています。こうした状況の中で、どのようなお産を選ぶのかは一人ひとりのお産に対する考え方や理解の程度にまかせられているのではないでしょうか。

助産院でのお産は、もちろん畳の部屋です。ずっと生まれるまで片時も離れず、寝ないで助産師さんが付き添って励ましてくださいました。申し訳ないぐらいですが、産婦にとってはどんなに心強いことでしょう。家族で立ち会う人ももちろん付き添っています。ですから娘のときには、私が付いていますから少し休んできてくださいと何度もお願いしたくらいでした。

ベッドと違って畳の上ですから好きな体勢、好きなように生むことができるのです。福井にも今なお敦賀に文化財として保存されているという昭和30年ごろまで使われていたという産小屋(さんごや)や、古事記の豊玉媛のお産が重ね合わさってきます。もちろん冷たい医療器具の金属音などはいたしません。

生まれたあとの子どもへの処置も、一般にはすぐに産湯を使わせるものですが、母親の処置が終わるまでは母の胸の上に置かれ、そうすることが赤ちゃんの胎便が完全に出るという自然にかなった処置をしてくださっていました。

後になって、昔のアイヌの産婆さんによるお産や、ほかのお産について学ぶ機会ありましたが、お産のあり方や産後の産婦や赤ちゃんに対する取り扱いにも目立たない部分でいろいろな違いがあるようです。昔のお産だから古いとは決して決め付けることができず、かえって人間の誕生の理にかなっていることも少なくないというのです。それがその子の育ちにも影響するというのです。お産のこうした詳細については各自でいろいろな本を参考に調べておかれるとよいとおもいます。

昔の日本のお産や、今でも未開といわれる国では、出産後は暗い部屋で過ごし、子どもも2ヶ月ぐらいはあまり明るいところへは連れ出さないものだそうです。現代では、蛍光灯でさんさんと明るく照らし出された部屋で生まれ、生まれ落ちるなり明るさのなかで目覚めさせられているのが現状のようです。そしてそのことに対して誰も違和感を持っていないようです。

ですから、娘には意図してカーテンを引いて部屋を暗くしておきました。自宅であればろうそくの明かりを灯しておいてやりたいと思いました。しかし、それは産院にご迷惑をかけてはと思いやめました。そしてあまり物音を立てないでできるだけ静かな環境を配慮しました。出産後の食事は、和食の自然な食事を用意くださっていました。

私は、お産の専門家ではありません。ただ保育士としてその後の子どもの育ちを考えるとき、一人の子どもの誕生にあたって、人が生まれるにふさわしい状況をできるだけ知って出産に臨んでいただきたいと願っているのです。

一時大変な話題を呼び、今でもよく歌われている「千の風になって」の詩の訳者でおられる新井満さんの著書「般若心経」を、ある講演会で講師の方から紹介いただきました。その本の内容の最も要のことをそのあとがきで、明治生まれのお産婆さんであった新井さんのお母さんの言葉を引用して次のように結んでおられるのです。

『生きとし生ける命をひとつのこらず肯定的にとらえる考え方の行き着く先で待っているのは、“役割論”であるといってよい。母は生前、よく言ったものである。「どんな赤ちゃんにも、役割があってさ・・・」母は、入浴させたばかりの新生児を抱き上げながら、なおもつづけて、「天才には天才なりの、凡人には凡人なりの、障害のある人には障害のある人なりの、役割がきっとあってさ。きっとあったからこそ、この世にオギャーッ!といってうまれてきたんだわさ、この赤ちゃん、どんな子に育つかねえ・・・」呟くようにそう言うと、母はいかにも嬉しそうに微笑するのだった。』