雲肌麻紙をすく岩野麻貴子さん。「同じ作業を繰り返す紙すきは、忍耐強い女性の方が向いている」と話す=福井県越前市大滝町の岩野平三郎製紙所

 日本画紙を開発したパイオニアであり、手漉きでは日本最大規模を誇る福井県越前市大滝町の岩野平三郎製紙所。代名詞の「雲肌麻紙(くもはだまし)」は今なお画壇の大家に重用されているが、近年は他産地からも優れた画紙が出ている。そんな中、昨年代替わりし4代目にして初の女性社長となった岩野麻貴子さん(48)が、画壇の実力者に意見を求めながら、紙の品質を高める新たな挑戦を始めた。

 昨年1月に3代目平三郎さんが85歳で亡くなって2カ月ほどしたころ。麻貴子さんの元には、画家や大学教授、卸問屋などから紙に対する要望が寄せられるようになった。「3代目の時代とは求められる紙が変わった」と痛感。自ら東京へ出向き、一つ一つの声に耳を傾けることにした。

 爆発的に増えた需要に対応するため、最盛期には現在の倍の60人の従業員を抱え、効率性を重視しながら熟練した職人技で質を担保していた3代目。画壇の流行も厚塗り傾向で、塗り重ねても剥離しない丈夫さが重要だった。

 現在の市場が求めるのは、繊細な薄塗りに向いた地肌の美しさを持ちながら、時間を経ても劣化しない保存性の高い和紙。要求に応えるには、手間をいとわず理想の紙を形にした「初代平三郎の製法へ回帰する」以外になかった。

 ■横のつながり

 最大の挑戦は、原料のコウゾの白皮を煮るときに使う薬剤を昔ながらのソーダ灰に戻したこと。昭和初期から使ってきたカセイソーダは、強アルカリでコウゾをくたくたに煮溶かし、効率が求められる大規模工房には欠かせないと考えられていたが、一方で繊維にはダメージが残った。

 変更に伴う作業は膨大だ。ソーダ灰は繊維を傷めない分、ごみや木の節も残り、それらを手で取り除く「ちりとり」に倍以上の時間が掛かる。「当初は作業が滞り、漉き槽が止まってしまったこともあった」と麻貴子さん。代替わり直後に先代のやり方を変える難しさもあった。

 後押ししたのは同業者だった。山路製紙所(越前市大滝町)の山路勝海社長(42)は「岩野平三郎製紙所の紙は産地の顔。最高の紙を作ってほしい」と薬剤の見直しに力を貸している。重鎮として一目置かれた先代の時代と異なり、産地をみんなで盛り上げようとする横のつながりが生まれつつあるという。

 同時に原料の洗浄回数を増やし、シミの原因となる砂鉄を徹底除去。漂白剤も塩素系から酸素系に一部切り替え、劣化を防ぐ工夫を重ねている。

 ■白さを増す和紙

 画壇では近年、和紙の研究が進み、製造過程で用いられる薬剤が及ぼす悪影響が明らかになってきた。県ぐるみで和紙開発を進める高知は、それらの知見を生かした高級画紙をブランド化する一方で、学生の需要を満たす安価な麻紙を生産。越前の牙城が脅かされつつあった。

 素材に優しい製法を取り入れた最近の雲肌麻紙は、わずかに黄みがかった色合い。経年で黄ばんでいく従来の紙とは対照的に、紫外線に触れることで白さを増すという。その強靱さは、もんでしわをつける「もみ紙」にできないほど。麻貴子さんは「使う人の意見が上がってくるのはこれから。改良を重ねて変化をアピールしたい」と意気込む。

 2013年から福井県立美術館の特別館長を務める日本画の大家で日本美術院同人の手塚雄二・東京芸大教授は「いまだかつて、紙漉きの人間が意見を求めに上京してくることはなかった。当代の志は素晴らしいし、何度失敗しても必ず求める紙を作り上げるだろう」と期待する。

 初代平三郎は、横山大観ら画壇の実力者の助言に耳を傾け、日本画の世界に新しい地平を切り開いた革新の人だった。その志は、4代目にしっかりと受け継がれている。

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