足元ばかりを見ていたら / 行き先がわからなくなる。
遠くの夢ばかり見ていたら / 足元の石ころにつまずく。
だから休みながら / のんびりのんびり / 遠くを見たり / 近くを見たり / ゆっくりゆっくり / 今を楽しみながら。

こんな詩が書かれた色紙が手元にありました。誰の詩かもわかりません。詩を読むと子育てにもとても該当することだなあと思えます。詩のようには のんびり、ゆっくりもできないことも多いのだけれど・・・。

では、足元に目を移して‘ちまた’の子育ての状況に目を向けてみましょう。いろんな子育ての状況が目に映ってきます。

これでいいのかなあ・・・とおもえることや、いやこれはたまらない、もっと皆さん気づいてくださいよと声を大にして言いたいこと。ああ!勘違い。悪意からではなく、あくまでも善意からなのでしょうが、こんなふうに勘違いされて世にまかり通ってしまっているのだ・・・などなど。しかし、半面心がほのぼのする家族の触れ合う姿もまだまだ福井ではたくさん見られるのですが。

子育てには人の数だけ方法があるといわれています。だからいろんな子育てがあっていいのでしょうが、これは許されない!そんなこともたくさんあるのです。今回はそんなことのいくつかを拾い上げてみたいとおもいます。そして回を改め、そのことについてさらに深めてご一緒に考えていきたいとおもっております。

以前から気になっていることの一つが、音の多さです。特に幼い子が育つにはあまりの音の多さと大きさ、その質です。今では日常の生活にBGMが流れていることが当たり前になっている世の中ですから、多くの人はこうした生活の中での音に対してよほどでない限り敏感ではないようです。しかし、幼い子どもの育ちには、音はとても重要なことなのです。特にその静けさにおいてです。

ショッピングストアなどでよく目にする光景です。親御さんの買い物に連れられて?いいえそれだけではないようです。ほかに遊びに連れて行くところがなくて親御さんがそこを遊び場としてお子さんを連れてきていることも多いようです。幼い子が、店内中響き渡る音楽や騒音の中に何時間もさらされていることが日常茶飯事のこととして行われているのです。

特に、まだ生まれて間もないまだ首も座っていない生後2~3ヶ月ぐらいの柔らかな赤ちゃんがそうした中におかれているのを見ると、とてもいたたまれない気持ちになります。実際にその中に置かれている小さい幼児や赤ちゃんにとってはどのような影響があるのでしょう?

いつもそうした状況に出会うと、私はこれはまさしく暴力の一つだと思えてならないのです。「子どもへの音の暴力」だと。皆さんはどう思われますか?

4年ほど前になりますが、ヨーロッパに研修で出かけたときスイスで中継しました。そのときスイスの空港には人影もほとんどなく、あまりに静かでシーンと静まり返っていて、これがあのスイスの空港なのかと大変驚いたことがあります。

多分空港内だったのでしょうが、その近くの外に面したところに、食事をしたりお茶を飲むところがあり、大勢の人たちがいました。しかし、そこでもなんの音楽や音も聞こえず、ただそこにいる人たちが必要範囲の声で静かに会話を楽しみながら食事をして飛行機を待つのです。騒いだり大声を出す人もなく本当に静かな雰囲気のなかで食事をしていました。

日本ではどこにいっても大きな音の音楽が流れ、会場一杯にアナウンスの声が響き渡り、そこに集まっている人々も実に騒々しい状況が当たり前になってしまっているので、空港でありながらその日本の状況では考えられない静けさがとても不思議で、同行してくださった知人にどうしてこんなに静かなのかを尋ねました。

すると、長らく海外暮らしをされ、そうした事情に詳しい知人は、スイスではそうしたことに対して国民がとても関心が高く実に配慮が行き届いているということでした。日本ではまだまだ多くの人がそうしたことに関しては関心が低いようです。

ちょっと周りの様子に耳をすましてみませんか? どれだけの音が世に満ち溢れているのか。その中のどれだけが本当に私たちにとって必要な音なのか。そして逆に害となっているのかをです。

ここで、今一度人間にとって音とは?を根源的に考えてみることが必要な気がするのです。そうすれば音と人間の関係が理解でき、子どもにとってふさわしくないところには連れて行かないかもしれません。また音としての環境のあり方も配慮されるようになるのではないかと思うのです。

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