今年は台風が上陸しないまま立冬を迎えようとしています。台風は天の恵みの水を持ってきてくれます。特に太平洋側では冬季雨が少ないので、冬場の大切な水資源です。いまのところ台風発生数は17個で、1998年の16個についで2番目に少ない年になっています。1951年以降に台風が上陸しなかった年は、1984・1986・2000と今年で、近年になって多くなっています。

10月26日、午後には寒気が入り日本海側では時雨模様の天気になりました。「春一番」や「木枯らし一号」は季節の言葉としてあります。「時雨一号」があってもよいと思います。時雨は、大陸からの乾燥した冷たい空気が、暖かい日本海で(10月下旬の日本海沿岸の水温は20℃以上)水蒸気を補給して雨や雪を降らせる現象です。

天気予報に欠かせない最初の天気図は、二百数十年さかのぼりますが、日本では明治16年(1883年)に始まりました。当時の天気図を見ますと、記入されている観測所の数は北海道、本州、九州、四国の21ヶ所で、大陸や南西諸島は資料が無く、等圧線は約5ヘクトパスカル(hPa)毎に描かれています。

当時は気圧を水銀柱の高さで記入しており、明治16年3月1日の天気図では765Hg(水銀の原子記号で水 銀柱の高さを表す単位)・769Hgと4Hgごとに等圧線がえがかれていて、換算すると5.33hPaになります。気圧の単位表現はHgからmbへ、1992年からはhPaになりました。

気象観測の歴史は古く、バビロニアで風の方向を8方位に分けて観測していました。紀元前6世紀にギリシアで風向観測、前1世紀アテネ市にアンドロス・シレステスが寄贈した「風の塔」が現存しています。15世紀にレオナルド・ダ・ヴィンチは湿度計と風力計を作成しました。

日常的に我々は意識していませんが、重い空気の下で暮らしています。これを大気圧と呼んでいますが、はじめて発見したのはイタリアの物理学者トリチェリで1643年のことです。彼の師ガリレイは、空気に重みがあることに気づき、彼に伝えました。トリチェリは一方を閉じたガラス管に水銀を入れて立てたところ約76センチの高さで止まりました。これはガラス管の外にある水銀面とガラス管の水銀の重さが等しいことになり、ガラス管の水銀の上部は真空であることになります。その頃まで真空は無いと信じられていましたから、宇宙が真空状態であることは大きな発見でした。

ドイツの政治家で物理学者でもあったゲーリッケは、水を使った高さ10メートルほどの気圧計を作り、観測していました。1660年12月6日に気圧の急激な下降を見て暴風の予告をしたところその通りになりました。また、彼はマグデブルクの市長であったとき、金属で作った半球を2つ合わせて中の空気を抜き、16頭の馬でこれを離そうとしましたがなかなか離れなかった話でも有名です

ガラス管に水銀を詰めた水銀気圧計は最近まで正式な気圧計として使用されていました。気圧が観測可能になったことがその後の天気予報に大きく貢献したことは言うまでもありません。天気が判ると云う事で「晴雨計」と呼ばれていましたが第二次大戦後は「気圧計」と変えられました。

気象庁では、生の天気図(世界各地から集められたデータを全て記入したもの)を1日4回作っています。観測所から見える範囲は手に取るように判りますので、Synoptic天気図(総観天気図)と呼んでいます。これを元に等圧線を引き記入データを大幅にカットしたものが、インターネットなどで配信されています。

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